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2012年7月11日水曜日

夏祭りの準備から考えること

今日は、8月に予定している納涼会の実行委員会がありました。
私の勤める劇団では、毎年8月にお客様への感謝デーとしての夏祭りを行うのですが、
様々な部署から集まった実行委員が、お祭りの内容を考え、計画を練ります。

 例えば、俳優の他に、舞台の大道具製作や本番の舞台進行を管理する演出部、劇場の貸館業務を担当する劇場部、公演情報を対外的にアピールする宣伝部、劇団全体のお金を管理する経理部、公演の制作進行管理をする制作部など、日ごろはそれぞれの専門業務を行なっているメンバーが部署を超えて集まり、活動します。そのメンバーの中で仕事のチームを作り、分担して作業を行います。
 私は屋台の担当なので、屋台で何をいくらでどのくらいの量を売るのか、一緒に担当しているメンバーと考えます。その後、品物の発注、買い出しなどを行い、屋台を組み立て、提灯を吊ったりして
当日は実行委員ではない劇団員も全員が何かの役割について本番を迎えます。

 日ごろの枠組みに捕らわれず、専門の違う人同士が得意分野を持ち寄り、目的を達成するというこの夏祭りの仕事が特に好きなのですが、扱うジャンル、対象がどんなものであれ、専門分野を持ち自立した人が集まって何かを行うという状況がアートマネジメントの現場には多く必要なのではないかと考えています。そう感じる機会がたまたまあったので、ここに書いてみました。
(青・さいとう)

2012年7月7日土曜日

日本初劇場レジデンシャルダンスカンパニーNoismについて

はじめまして、茶・harryです。

昨日、埼玉県の彩の国さいたま芸術劇場で行われたNoism1という
ダンスカンパニーの公演を観に行ってきましたので紹介させていただきたいと思います。


このNoism1というカンパニーは、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館が、
舞踊部門芸術監督にダンサー兼振付家の金森穣さんという方を迎えたことにより、
2004年に設立された日本初の劇場レジデンシャルダンスカンパニーです。
2009年には、付属の研修カンパニーNoism2が設立されました。
朝日舞台芸術賞舞踊賞を受賞するなど、ダンス界の中でもとても注目されている存在です。


昨日私が観た公演は、『Nameless Voice~水の庭、砂の家』というタイトルの公演で、
2008年の『Nameless Hands~人形の家』、2010年の『Nameless Poison~黒衣の僧』
に続く見世物小屋シリーズ第3弾として発表されました。


第3弾となる今回の作品は、新潟、埼玉、静岡、愛知、金沢で公演が行われ、
企画段階より、彩の国さいたま芸術劇場、SPAC-静岡県舞台芸術センター、
愛知芸術文化センター、金沢21世紀美術館と連携をして制作されています。


なるほど、作品の内容も専属の劇場を持ち、各公演の劇場との連携なしには
出来ないような派手な演出がなされており、ダンサーの技術的レベルもかなり高く、
とても見応えのある舞台でした。

新潟市が全額出資する財団法人新潟市芸術文化振興財団の予算により
カンパニーの諸経費、団員の給与、公演にかかわる事業費などが賄われており、
稽古や制作に専念できる環境があるということもダンサーのレベルや公演の質に
大きく関わっているのではないかと思われます。


日本においてレジデンシャルカンパニーはまだまだ珍しい存在ですが、
このNoism1の活動はその先駆者として注目すべき存在だと思います。


今日、明日の埼玉での公演もわずかですが当日券が出るようです。
また、静岡、愛知、金沢でも公演が行われるので、
ぜひ一度Noism1の公演に足を運んでみてはいかがかでしょうか?


Noism公式サイト http://www.noism.jp/


茶・harry

2012年7月5日木曜日

アートプロジェクトの現場から

当事者の時代へ…



はじめまして。東京藝術大学学部3年の風間と申します。
(「芸・風間」でコメントします。)
熊倉研究室でアートマネジメントを専攻しています。

私は茨城県にあります取手アートプロジェクト(TAP)にて
「半農半芸」というプロジェクトに関わっています。
取手市の重要な産業であり、また文化でもある”農”に
アートでアプローチしてみようという単年度スパンではない
まずは10年という長期型プロジェクトです。

今現在、壷焼きイモと養蜂がスタートし始めましたが、
2年目にして いまだ立ち上げ期にあるプロジェクトです。
(概要:http://www.toride-ap.gr.jp/hannohangei/?p=274)

その中で私は、ディレクターの岩間賢さんの考えることを翻訳し、
メンバー内で共有し、また外への発信という、
「言語化」のプロセスに大きく関わっています。
あとは研究会や勉強会などの企画も行なっています。
(自治体文化政策論でよく言われるような「市民の醸成」を
私は単純に、市民=考える個人ととらえ、企画しています。)

以下、これまで私が書いてきたブログです。
半農半芸 構想について↓
http://blog.toride-ap.gr.jp/none/2011/0227-3074/

3.11以後立ち止まってしまったことについて↓
http://hnhglecture.blogspot.jp/2012/03/blog-post_28.html


プロジェクトとは別に、ゼミでの研究としては
アーツカウンシルを扱おうと思っており、
また、現在国家公務員の試験勉強中でもあります。

芸大の偉そうでプライド高い小難しい奴かというとそうでもなく?、
社会不適合で効率よく生きられない生意気なやつかと思います。


さて、タイトルに関してですが……
端的に言ってしまうと主観性と客観性のジレンマです。

アートというのはその性質上、差異化・個別化の作用があり、
一般化・普遍化の難しい曖昧な文化的ニュアンスを扱うもので、
しかし、それでも社会に対するアカウンタビリティは重要で、
だからこそアートマネジメントなるものがあると思っています。

アカウンタビリティの材料として、
単純に入場者数や売上げ、
野外芸術祭による経済波及効果などの定量的なデータから、
希薄化していた地域内の交流の活性化や
健全な青少年の育成という定性的なものを含めて
それらを文化の手段的価値と呼びます。
(参考『Cultural Value and the Crisis of Legitimacy』John Holden)

しかし、手段的価値(客観的なもの)を求めることを自己目的化していくと、
よく言われる「役に立つアート」に価値があるという罠にハマります。

アートの本質的な価値
=小林先生がよく「アートはその人の人生を豊かにするもの」とおっしゃるような価値は
やはり主観的なものです。
主観的でしかあり得ないと思います。

(中川幾郎先生の『分権時代の自治体文化政策』の中でも、
行政法・行政学が抱える思考の転換のひとつとして
客観主義から主観的感性の重視をあげています。)

手段的価値も重要、しかしそれに偏向せず本質的価値を見失ってはならない
というジレンマこそ、主観性と客観性のジレンマであり、
また、アートプロジェクトの中で何かを企画していく上での
アーティストのやりたい(やろうとする)ことと
それを社会的な意義としてどう位置づけようかという
アートマネジメントが抱えるジレンマに似ています。


そしてそれは当然のように、
アートの現場を記録し発信する上でも同じ葛藤が起きるんですが、
ブログやTwitterという個人の発信が容易なツールにおいては
他者を意識した自分の「主観」が自然と現れやすいものです。

ディレクターの岩間さんは半農半芸メンバーに
「とにかくなんでもいいから半農半芸に関わっていて感じたこと、
面白い本を見つけた!でも納得いかないことでも
なにかあったらブログにアップしてくれ。」
と、私に限らないさまざまな個人に記録や発信を委ねます。

多様な主体(主観)の集合を見せようとしているのだと思います。
(そうは言ってもあまり更新が進んでいませんが…)


結論に持っていくのが難しくなってきましたが、
「批評」というラベルをつけたからには
批評について述べたいんですが、、、

「この作品は現代社会のこういうことを表している」という知的なコンセプトに触れ、
ついでに現代思想的な理論をどこからかひっぱってきて批評するものから
「この作品は町のおばちゃんたちが毎日云々…」というプロセスを追った
ストーリー的な批評などさまざまですが、
やはり著名な批評家や美術史家が批評=評価するのが一般的です。


それよりも、特にアートプロジェクトにおいては、
岩間さんが狙うような個人の主観的・当事者的批評(もの書き)が
他者へなんらか共感・違和感を与えることにも
大きな価値があるように感じています。
(参考:日本型アートプロジェクトの歴史と現在
「社会×アートプロジェクト」p30
http://www.bh-project.jp/artpoint/program/tarl2010/images/rl/archive/open01-vol6.pdf)


さらに、映像作家の田中功紀さんも東日本大震災をふまえ
「他者の経験を自分のものとして引き受けることはいかにして可能か」
ということをテーマにされています。
(http://sankei.jp.msn.com/life/news/120705/art12070508280004-n1.htm)


時代はまさに『当事者の時代』(佐々木俊尚)でしょうか。









2012年7月2日月曜日

芸術との関わり方を考えてみる


はじめまして!
芸大M1の小林あずさ(こあず)と申します。
まずは、自己紹介をさせて下さい。

都内の短期大学を卒業した後、都内の美術大学に編入し、
キュレーションや美術史、アートマネージメントを専攻していました。
そして現在は熊倉研究室で芸術運営を研究しています。
また、谷根千エリアを中心に活動する一般社団法人谷中のおかってのメンバーとして、
「谷中妄想ツァー!!」という
谷中のまちを散歩しながら芸術に触れる体験型パフォーマンスイベントを担当しています。
(一般社団法人谷中のおかって http://okatte.info/ )
今回で4回目となるこの企画ですが、前回までのエッセンスを抽出しつつ、
新たに企画・立案・予算のようなベースのフレームデザインを考え直す作業をしています。

学部3年からアートプロジェクトや演劇の現場に身をおいてきましたが、
フレームデザインを行うことは初めての経験です。
今までは「既に意図やアイデアが決まっている企画」をいかに運営するかを目標に据え、
企画者やアーティストの有能な手足になることを目指してきました。
しかし、今は、「こあずは何がやりたいの?」「こあずはどんな景色が見たいの?」と問われている気がします。
今までアーティストのアイデアや既にある理念を
全身全霊で理解・実現することに身を傾け、依存して来た私にとって、これは天変地異の大転機です。
今までおぼろげだった自分の芸術・社会に対する姿勢を明確にしなくてはいけない。
なぜなら、それを言葉にして、人に伝えて巻き込んで、ともに進んで行かなければいけないから。
おぼろげで自信がない、だから口をついて出てくる言葉は拙く弱々しい。自己嫌悪に陥ることもある。
しかし、人に会って言語化することで、相手の反応や言葉で新たに自分の言葉が磨かれていく感触は
ドラマチックでスリリングで喜びに満ちています。

目標地点に向かって走ることと、目標地点を定めることは全く違う。
そして、アーティストでも批評家でも鑑賞者でもない、マネージメントを志す人間に、
どのような目標地点があり、そこではどんな景色が見えるのか。
そこまで辿り着く道程を誰と歩み、どんな道しるべを見つけることができるのか。

これが私のこれからの現場の楽しみです。

ブログに携わっているみなさまは
どんな気持ちで芸術に関わっているのでしょうか?
どんな言葉でもコメントいただけるととても嬉しいです。
そして、近い将来どこかで出会えたら、
いろんな話をしたいな~と楽しみにしています。

どうぞよろしくおねがいします。

(芸・こあず)