皆さまこんにちは!芸大のありおといいます。(女です)
現在学部3年で、舞台芸術と身体表現のゼミに所属して勉強しています。
小さい頃は、地元のスポーツセンターでやっている子供バレエ教室に通ったりしていたのですが、今現在は大学にてコンテンポラリーダンスを教わっています。入学当初はコンテンポラリーダンスをほとんど知らなかったので度肝を抜かれましたが、今は大好きなのもそうでもないのも、色々見て見解を深めているところです(^^)
いきなりお悩み相談みたいになるんですけれど(苦笑)、今悩んでいるのは、ダンスはどうあるべきか ということです。
私のゼミでは気軽に作品制作ができてやりたければ誰でも自主公演を行えるのですが、私は今まで制作や出演者として参加することはあっても自分の作品をつくりたい、もしくはつくれる、と思ったことはありませんでした。ですが3年生になってやっと、自分でも自分の作品づくりをしたいという意欲がものすごい出てきて、制作を始めようとしているところです。その時になって、改めて「なんでダンス?」とか、「観客に対して何をどうしたいの?」といった問題にぶち当たりました。
芸術が誕生して必要とされている意味や理由みたいなものは多々あると思いますが、美術や音楽を省いてとりあえずアート作品としての『ダンス(+演劇・パフォーミングアーツ)』というものを考えると、ダンスと娯楽性は切り離せないものだと思います。しかしそれと同時に社会性も持っていなければいけません。ダンスも沢山のジャンルやタイプが生まれてある意味「出尽くした」と言えるかもしれない今、ただ単に好きだからといった動機だけでやったってそんなに意味はないし、ダンスが何を問えるのか、提示できるのか、こういうことを考えはじめると何だかもうぐちゃぐちゃーってなってしまいます(笑)経験不足に知識不足ですね…
また、国によっても「ダンス」の持つ意味は異なってくると思います。ダンスで仕事をしている人の立場や在り方も全然違うと思います。日本の場合はどうなんでしょう。ただ世間一般的に見て、いち職業として確固たる地位を与えられているようには見えません。悩んでしまいます…
こんな感じでだらだら書いてしまいましたが、皆さんにとってのダンス観とか伺えたら嬉しいですし、もちろんダンスでなくても何でも、ぜひ色々と教えていただければと思います(^^) よろしくお願いします!
(芸・ありお)
2012年7月31日火曜日
2012年7月21日土曜日
自己紹介と告知
こんにちは。
東京芸術大学M2の山崎と申します。
ようやく夏本番と思いきや、昨日・今日はびっくりするほどの涼しさですね。
さて、初めての投稿なので、まず自己紹介からさせて頂きたいと思います。
私は学部から東京芸大にいまして、身体表現・舞台芸術について学んでいます。
大学入学後からダンスを始めて、あれこれ模索しつつ作品をつくったり公演を行ったりしてきました。
昨年10月にひとつ区切りとなる公演があり、その後小休止期間を経て、
最近はセッションイベント等に参加して踊ることが多くなっています。
ダンスといっても、バレエやモダンダンスを本格的に学んだ経験はなく、舞踏とマイムを基にしています。
ジャンル的には、コンテンポラリー・ダンスということになるのでしょうか…
ということで、今回はいま関わっている企画をいくつかご紹介したいと思います。
(宣伝です!)
ひとつめは、今年5月から始まった「空宇宙室」。
サウンドアーティスト・美術家の中川敏光さん、グラフィックデザインユニットの
TRAPEZE COMMUNE(トラピーズ・コミューン)、舞踏家の嶋田勇介さんが中心となって発足した企画で、
毎月1回、音楽と舞踊による実験的公演イベントを行っています。
私はvol.1、vol.2と参加させて頂き、来月11日のvol.4にも出演予定です。
会場となる「Chapter2」は、横浜の長者町にあるアート拠点「CHAP(長者町アートプラネット)」の二階。
元ダンスホールの趣きある空間で、音楽やダンスのイベントの他、
ワークショップや展示などにも使えるレンタルスペースとして運営されています。
空宇宙室はまだ始まったばかりですが、こうしたイベントをきっかけに
異分野のアーティストやクリエイターが出会ったり、
様々な人間の交流が生まれる場となってほしいという期待をもっています。
ふたつめは、 街をぶらりと歩きながら出会うパフォーミングアート&ミ ュージック「LAND FES」。
来月、8月の2〜5日です。
吉祥寺の街に設定された4つの会場で、音楽とダンス、パフォーマンスのセッションが行われます。
出演者と組み合わせは各回ごとに異なりますので、お見逃しなく。
こちらは初めて参加させていただくので、どんな様子なのか、どんなことになるのか分からない部分もあり、
なかなか未知数でどきどきです。
最後に、「三宅島在住アトレウス家」。
実はこちらが最も説明の難しいものであります。
「アトレウス家」のプロジェクトは東京文化発信プロジェクト・東京アートポイント計画のプログラムであり、
「墨田区在住アトレウス家」「豊島区在住アトレウス家」を経て、
今回はついに(?)東京の離島・三宅島へ行きます。
…長くなりましたので、続きは改めて書くことにしたいと思います。
(芸・ヤマザキ)
サウンドアーティスト・美術家の中川敏光さん、グラフィックデザインユニットの
TRAPEZE COMMUNE(トラピーズ・コミューン)、舞踏家の嶋田勇介さんが中心となって発足した企画で、
毎月1回、音楽と舞踊による実験的公演イベントを行っています。
私はvol.1、vol.2と参加させて頂き、来月11日のvol.4にも出演予定です。
会場となる「Chapter2」は、横浜の長者町にあるアート拠点「CHAP(長者町アートプラネット)」の二階。
元ダンスホールの趣きある空間で、音楽やダンスのイベントの他、
ワークショップや展示などにも使えるレンタルスペースとして運営されています。
空宇宙室はまだ始まったばかりですが、こうしたイベントをきっかけに
異分野のアーティストやクリエイターが出会ったり、
様々な人間の交流が生まれる場となってほしいという期待をもっています。
ふたつめは、 街をぶらりと歩きながら出会うパフォーミングアート&ミ
来月、8月の2〜5日です。
吉祥寺の街に設定された4つの会場で、音楽とダンス、パフォーマンスのセッションが行われます。
出演者と組み合わせは各回ごとに異なりますので、お見逃しなく。
こちらは初めて参加させていただくので、どんな様子なのか、どんなことになるのか分からない部分もあり、
なかなか未知数でどきどきです。
最後に、「三宅島在住アトレウス家」。
実はこちらが最も説明の難しいものであります。
「アトレウス家」のプロジェクトは東京文化発信プロジェクト・東京アートポイント計画のプログラムであり、
「墨田区在住アトレウス家」「豊島区在住アトレウス家」を経て、
今回はついに(?)東京の離島・三宅島へ行きます。
…長くなりましたので、続きは改めて書くことにしたいと思います。
(芸・ヤマザキ)
2012年7月6日金曜日
「余暇と祝祭」
毎週金曜日の授業が楽しみな茶・seikoです。
さて今日は「余暇と祝祭」(著者:ヨゼフ・ピーパー、講談社学術文庫)という本を紹介します。
直接的に文化マネージメントとは関係ないのですが、文化を享受し余暇を過ごす意味について考えさえてくれる一冊です。
何故この本をおすすめするのかについて、少し(少しではないけど)私自身の話を…
高校時代は週6の部活と毎年一万人以上の人が訪れる文化祭の準備を中心とした日々。
そして大学時代は専攻であったスポーツと、一方でミュージカル、オペラ、演劇といった舞台の魅力にみせられた日々。
人によっては舞台芸術とスポーツは遠い存在だと仰るかもしれません。
しかし実際に足を運び一度liveで見て頂ければ、何となくスポーツと舞台芸術の近い部分を理解して頂けるかと思います。
…っがそれはさておき、この様に自分にとってはスポーツや芸術ひっくるめた文化が生活の中心(軸)にあり、生きてる実感や元気を与えてくれる必要不可欠な存在でした。
しかし実際には、「文化は必要不可欠な存在だ!」と言ったからといって安易に理解して貰えるものでもなく、スポーツの人は舞台芸術について、舞台芸術の人はスポーツについて、その日常生活における意義を理解することは難しいという事実を知りました(近い分野であっても)。
そんな時期に就職や進路の悩みが重なり、「私は今まで何を大切に(多くの時間を割いて)生きてきたのか?スポーツや芸術は何で必要なのか?」…という疑問が心の中に溢れるのと同時に説明できない悔しさが重くのしかかってきました。
そんな時に紹介してもらった本が「余暇と祝祭」でした。
この本はヨゼフ・ピーパーが戦争で徹底的に破壊されたミュンスターにおいて、再建のため日々働きづめる人々を見つめながら書いた本だそうです。
そして本文の中では余暇を労働と対比しながら、ただ「休む」という意味の余暇ではなく、活動を伴う余暇とはいったい何なのか、そして余暇を行うことが何故必要なのか分かりやすく書かれています。
本編であげられた余暇の特徴がスポーツや舞台芸術と通じると気づいた時、自分では説明のできなかった部分について語ってくれているようで、心が軽くなったことを今でも私は覚えています。
本文はとても短く電車の中でもさらっと読める一冊です。
なのであえてここでは中身についてはこれ以上言及しません。
ですがきっとこれから文化に携わる人にとって、「なぜ文化が必要なの?」と真っ向から疑問を投げつけられたり、自分自身が悩んでしまった時にヒントを出してくれるような一冊ではないかと思います。
良かったらぜひ一度お手にとってみてください。
(茶・seiko)
さて今日は「余暇と祝祭」(著者:ヨゼフ・ピーパー、講談社学術文庫)という本を紹介します。
直接的に文化マネージメントとは関係ないのですが、文化を享受し余暇を過ごす意味について考えさえてくれる一冊です。
何故この本をおすすめするのかについて、少し(少しではないけど)私自身の話を…
高校時代は週6の部活と毎年一万人以上の人が訪れる文化祭の準備を中心とした日々。
そして大学時代は専攻であったスポーツと、一方でミュージカル、オペラ、演劇といった舞台の魅力にみせられた日々。
人によっては舞台芸術とスポーツは遠い存在だと仰るかもしれません。
しかし実際に足を運び一度liveで見て頂ければ、何となくスポーツと舞台芸術の近い部分を理解して頂けるかと思います。
…っがそれはさておき、この様に自分にとってはスポーツや芸術ひっくるめた文化が生活の中心(軸)にあり、生きてる実感や元気を与えてくれる必要不可欠な存在でした。
しかし実際には、「文化は必要不可欠な存在だ!」と言ったからといって安易に理解して貰えるものでもなく、スポーツの人は舞台芸術について、舞台芸術の人はスポーツについて、その日常生活における意義を理解することは難しいという事実を知りました(近い分野であっても)。
そんな時期に就職や進路の悩みが重なり、「私は今まで何を大切に(多くの時間を割いて)生きてきたのか?スポーツや芸術は何で必要なのか?」…という疑問が心の中に溢れるのと同時に説明できない悔しさが重くのしかかってきました。
そんな時に紹介してもらった本が「余暇と祝祭」でした。
この本はヨゼフ・ピーパーが戦争で徹底的に破壊されたミュンスターにおいて、再建のため日々働きづめる人々を見つめながら書いた本だそうです。
そして本文の中では余暇を労働と対比しながら、ただ「休む」という意味の余暇ではなく、活動を伴う余暇とはいったい何なのか、そして余暇を行うことが何故必要なのか分かりやすく書かれています。
本編であげられた余暇の特徴がスポーツや舞台芸術と通じると気づいた時、自分では説明のできなかった部分について語ってくれているようで、心が軽くなったことを今でも私は覚えています。
本文はとても短く電車の中でもさらっと読める一冊です。
なのであえてここでは中身についてはこれ以上言及しません。
ですがきっとこれから文化に携わる人にとって、「なぜ文化が必要なの?」と真っ向から疑問を投げつけられたり、自分自身が悩んでしまった時にヒントを出してくれるような一冊ではないかと思います。
良かったらぜひ一度お手にとってみてください。
(茶・seiko)
2012年7月5日木曜日
アートプロジェクトの現場から
当事者の時代へ…
はじめまして。東京藝術大学学部3年の風間と申します。
(「芸・風間」でコメントします。)
熊倉研究室でアートマネジメントを専攻しています。
私は茨城県にあります取手アートプロジェクト(TAP)にて
「半農半芸」というプロジェクトに関わっています。
取手市の重要な産業であり、また文化でもある”農”に
アートでアプローチしてみようという単年度スパンではない
まずは10年という長期型プロジェクトです。
今現在、壷焼きイモと養蜂がスタートし始めましたが、
2年目にして いまだ立ち上げ期にあるプロジェクトです。
(概要:http://www.toride-ap.gr.jp/hannohangei/?p=274)
その中で私は、ディレクターの岩間賢さんの考えることを翻訳し、
メンバー内で共有し、また外への発信という、
「言語化」のプロセスに大きく関わっています。
あとは研究会や勉強会などの企画も行なっています。
(自治体文化政策論でよく言われるような「市民の醸成」を
私は単純に、市民=考える個人ととらえ、企画しています。)
以下、これまで私が書いてきたブログです。
半農半芸 構想について↓
http://blog.toride-ap.gr.jp/none/2011/0227-3074/
3.11以後立ち止まってしまったことについて↓
http://hnhglecture.blogspot.jp/2012/03/blog-post_28.html
プロジェクトとは別に、ゼミでの研究としては
アーツカウンシルを扱おうと思っており、
また、現在国家公務員の試験勉強中でもあります。
芸大の偉そうでプライド高い小難しい奴かというとそうでもなく?、
社会不適合で効率よく生きられない生意気なやつかと思います。
さて、タイトルに関してですが……
端的に言ってしまうと主観性と客観性のジレンマです。
アートというのはその性質上、差異化・個別化の作用があり、
一般化・普遍化の難しい曖昧な文化的ニュアンスを扱うもので、
しかし、それでも社会に対するアカウンタビリティは重要で、
だからこそアートマネジメントなるものがあると思っています。
アカウンタビリティの材料として、
単純に入場者数や売上げ、
野外芸術祭による経済波及効果などの定量的なデータから、
希薄化していた地域内の交流の活性化や
健全な青少年の育成という定性的なものを含めて
それらを文化の手段的価値と呼びます。
(参考『Cultural Value and the Crisis of Legitimacy』John Holden)
しかし、手段的価値(客観的なもの)を求めることを自己目的化していくと、
よく言われる「役に立つアート」に価値があるという罠にハマります。
アートの本質的な価値
=小林先生がよく「アートはその人の人生を豊かにするもの」とおっしゃるような価値は
やはり主観的なものです。
主観的でしかあり得ないと思います。
(中川幾郎先生の『分権時代の自治体文化政策』の中でも、
行政法・行政学が抱える思考の転換のひとつとして
客観主義から主観的感性の重視をあげています。)
手段的価値も重要、しかしそれに偏向せず本質的価値を見失ってはならない
というジレンマこそ、主観性と客観性のジレンマであり、
また、アートプロジェクトの中で何かを企画していく上での
アーティストのやりたい(やろうとする)ことと
それを社会的な意義としてどう位置づけようかという
アートマネジメントが抱えるジレンマに似ています。
そしてそれは当然のように、
アートの現場を記録し発信する上でも同じ葛藤が起きるんですが、
ブログやTwitterという個人の発信が容易なツールにおいては
他者を意識した自分の「主観」が自然と現れやすいものです。
ディレクターの岩間さんは半農半芸メンバーに
「とにかくなんでもいいから半農半芸に関わっていて感じたこと、
面白い本を見つけた!でも納得いかないことでも
なにかあったらブログにアップしてくれ。」
と、私に限らないさまざまな個人に記録や発信を委ねます。
多様な主体(主観)の集合を見せようとしているのだと思います。
(そうは言ってもあまり更新が進んでいませんが…)
結論に持っていくのが難しくなってきましたが、
「批評」というラベルをつけたからには
批評について述べたいんですが、、、
「この作品は現代社会のこういうことを表している」という知的なコンセプトに触れ、
ついでに現代思想的な理論をどこからかひっぱってきて批評するものから
「この作品は町のおばちゃんたちが毎日云々…」というプロセスを追った
ストーリー的な批評などさまざまですが、
やはり著名な批評家や美術史家が批評=評価するのが一般的です。
それよりも、特にアートプロジェクトにおいては、
岩間さんが狙うような個人の主観的・当事者的批評(もの書き)が
他者へなんらか共感・違和感を与えることにも
大きな価値があるように感じています。
(参考:日本型アートプロジェクトの歴史と現在
「社会×アートプロジェクト」p30
http://www.bh-project.jp/artpoint/program/tarl2010/images/rl/archive/open01-vol6.pdf)
さらに、映像作家の田中功紀さんも東日本大震災をふまえ
「他者の経験を自分のものとして引き受けることはいかにして可能か」
ということをテーマにされています。
(http://sankei.jp.msn.com/life/news/120705/art12070508280004-n1.htm)
時代はまさに『当事者の時代』(佐々木俊尚)でしょうか。
ラベル:
アートマネージメントの現場,
自己紹介,
批評
2012年7月2日月曜日
芸術との関わり方を考えてみる
はじめまして!
芸大M1の小林あずさ(こあず)と申します。
まずは、自己紹介をさせて下さい。
都内の短期大学を卒業した後、都内の美術大学に編入し、
キュレーションや美術史、アートマネージメントを専攻していました。
そして現在は熊倉研究室で芸術運営を研究しています。
また、谷根千エリアを中心に活動する一般社団法人谷中のおかってのメンバーとして、
「谷中妄想ツァー!!」という
谷中のまちを散歩しながら芸術に触れる体験型パフォーマンスイベントを担当しています。
(一般社団法人谷中のおかって http://okatte.info/ )
今回で4回目となるこの企画ですが、前回までのエッセンスを抽出しつつ、
新たに企画・立案・予算のようなベースのフレームデザインを考え直す作業をしています。
学部3年からアートプロジェクトや演劇の現場に身をおいてきましたが、
フレームデザインを行うことは初めての経験です。
今までは「既に意図やアイデアが決まっている企画」をいかに運営するかを目標に据え、
企画者やアーティストの有能な手足になることを目指してきました。
しかし、今は、「こあずは何がやりたいの?」「こあずはどんな景色が見たいの?」と問われている気がします。
今までアーティストのアイデアや既にある理念を
全身全霊で理解・実現することに身を傾け、依存して来た私にとって、これは天変地異の大転機です。
今までおぼろげだった自分の芸術・社会に対する姿勢を明確にしなくてはいけない。
なぜなら、それを言葉にして、人に伝えて巻き込んで、ともに進んで行かなければいけないから。
おぼろげで自信がない、だから口をついて出てくる言葉は拙く弱々しい。自己嫌悪に陥ることもある。
しかし、人に会って言語化することで、相手の反応や言葉で新たに自分の言葉が磨かれていく感触は
ドラマチックでスリリングで喜びに満ちています。
目標地点に向かって走ることと、目標地点を定めることは全く違う。
そして、アーティストでも批評家でも鑑賞者でもない、マネージメントを志す人間に、
どのような目標地点があり、そこではどんな景色が見えるのか。
そこまで辿り着く道程を誰と歩み、どんな道しるべを見つけることができるのか。
これが私のこれからの現場の楽しみです。
ブログに携わっているみなさまは
どんな気持ちで芸術に関わっているのでしょうか?
どんな言葉でもコメントいただけるととても嬉しいです。
そして、近い将来どこかで出会えたら、
いろんな話をしたいな~と楽しみにしています。
いろんな話をしたいな~と楽しみにしています。
どうぞよろしくおねがいします。
(芸・こあず)
2012年6月28日木曜日
文化的生活とボランティア
皆さま、初めまして。
東京藝術大学大学院 修士2年の宮下信子です。
初投稿ですので、簡単な自己紹介と授業を受けて感じたことについて書きたいと思います。
私は現在熊倉研究室に所属し、アートボランティアについて研究しています。
アートアクセスあだち「音まち千住の縁」という、音をテーマに展開するまちなかアートプロジェクトの運営に携わる中で、アートに関わるボランティアの人々の実態について非常に興味を持ちました。
当初はボランティアをする人々のモチベーションについて研究していましたが、現在はアートプロジェクトのボランティア活動を通して、参加する人々にどのような変化が表れているか、というところに少しシフトしています。
今年度修士論文を書いて卒業ということもあり、今さまざま悩んでいるところです。
さて、先日27日(水)の授業で、ドイツの文化政策と文化権の話に入りました。
その前提として、小林先生の研究の問題意識についてもお伺いし、非常に興味深く聞いていました。
「人々がどのように文化を享受して豊かになるか、幸せになるか」を考える際に、「文化権」の保障が鍵になるのではないか。
では、その「文化権」とはどうあるべきなのか。
これは、ドイツに限らず、ありとあらゆるレイヤーの文化政策において、真摯に考えなくてはならないことだと感じました。
しかし、一番この権利について考えなければいけないのは、むしろ権利が認められている我々一般市民なのではないかとも感じました。
もちろん、行政より制度として「文化権」が保障され、人間の権利として認められ、人々の認識にも浸透することも考えなくてはならない。しかしその一方で、この保障された権利をどのように主張し、活かすのか、ということは意外と人々にとって「?」の部分なのではないかと思ったのです。
この権利を活用して「文化的生活」を過ごす人がどれくらいいるのか、どういう生活が「文化的生活」なのかということを考えてみると面白いのではないかと感じたのです。
そこで、「文化的生活」を送っている人々の1つのパターンとして、アートボランティアという生き方があるのではないかと考えるにいたりました。
彼らは積極的に現代アートなどのさまざまな文化を享受し、それを生活の一部として認識している。
この状態はまさに、「文化権」の活用を示す現象なのではないでしょうか。
まだ思いつきの段階ですので、論としては非常に浅いですが。。。
これを足掛かりに「文化権」や「文化的生活」について考えてみたいと思いました。
皆さまのご意見もお聞きしたいです。
最後に、他大学の方々との交流の場、非常に楽しみです。
どうぞよろしくお願いいたします。
(芸・nbkm)
東京藝術大学大学院 修士2年の宮下信子です。
初投稿ですので、簡単な自己紹介と授業を受けて感じたことについて書きたいと思います。
私は現在熊倉研究室に所属し、アートボランティアについて研究しています。
アートアクセスあだち「音まち千住の縁」という、音をテーマに展開するまちなかアートプロジェクトの運営に携わる中で、アートに関わるボランティアの人々の実態について非常に興味を持ちました。
当初はボランティアをする人々のモチベーションについて研究していましたが、現在はアートプロジェクトのボランティア活動を通して、参加する人々にどのような変化が表れているか、というところに少しシフトしています。
今年度修士論文を書いて卒業ということもあり、今さまざま悩んでいるところです。
さて、先日27日(水)の授業で、ドイツの文化政策と文化権の話に入りました。
その前提として、小林先生の研究の問題意識についてもお伺いし、非常に興味深く聞いていました。
「人々がどのように文化を享受して豊かになるか、幸せになるか」を考える際に、「文化権」の保障が鍵になるのではないか。
では、その「文化権」とはどうあるべきなのか。
これは、ドイツに限らず、ありとあらゆるレイヤーの文化政策において、真摯に考えなくてはならないことだと感じました。
しかし、一番この権利について考えなければいけないのは、むしろ権利が認められている我々一般市民なのではないかとも感じました。
もちろん、行政より制度として「文化権」が保障され、人間の権利として認められ、人々の認識にも浸透することも考えなくてはならない。しかしその一方で、この保障された権利をどのように主張し、活かすのか、ということは意外と人々にとって「?」の部分なのではないかと思ったのです。
この権利を活用して「文化的生活」を過ごす人がどれくらいいるのか、どういう生活が「文化的生活」なのかということを考えてみると面白いのではないかと感じたのです。
そこで、「文化的生活」を送っている人々の1つのパターンとして、アートボランティアという生き方があるのではないかと考えるにいたりました。
彼らは積極的に現代アートなどのさまざまな文化を享受し、それを生活の一部として認識している。
この状態はまさに、「文化権」の活用を示す現象なのではないでしょうか。
まだ思いつきの段階ですので、論としては非常に浅いですが。。。
これを足掛かりに「文化権」や「文化的生活」について考えてみたいと思いました。
皆さまのご意見もお聞きしたいです。
最後に、他大学の方々との交流の場、非常に楽しみです。
どうぞよろしくお願いいたします。
(芸・nbkm)
2012年6月25日月曜日
芸大のヒョウです
はじめまして!
東京芸大のD1 李 丞孝(イ・スンヒョウ)と申します。これからは(芸・Hyo)で書かせていただきます。
みなさんが長く書いてくださったのですが、私はとりあえず少し書いてからみなさんの文章を読むことにしました。まず、自己紹介を簡単にしますと。
名前で気づいた方もいると思いますが、僕は韓国からの留学生です。今年が日本に来てから4年目ですが、まだ日本について勉強することが山ほどあると毎日痛感しています。
私は修士課程から韓国のダウォン芸術という新しい文化政策及び芸術思潮について研究しています。また、フェスティバル・トーキョーという舞台芸術フェスティバルを含め、いくつかのところで舞台芸術を中心に日韓の仕事をさせていただいております。
さて、3つの学校の学生がブログで交流するという非常に面白そうな企画ですが、
芸大からはまだ登場してないのでしょうか。
みなさんはとても優秀な方だと小林先生から聞いたので、これからも色々と交流させていただいて、教えていただければ嬉しいです。色んな議論があり、有意義なスペースとしてこのブログが使われればと思います。
宜しくお願いします。
(芸・Hyo)
東京芸大のD1 李 丞孝(イ・スンヒョウ)と申します。これからは(芸・Hyo)で書かせていただきます。
みなさんが長く書いてくださったのですが、私はとりあえず少し書いてからみなさんの文章を読むことにしました。まず、自己紹介を簡単にしますと。
名前で気づいた方もいると思いますが、僕は韓国からの留学生です。今年が日本に来てから4年目ですが、まだ日本について勉強することが山ほどあると毎日痛感しています。
私は修士課程から韓国のダウォン芸術という新しい文化政策及び芸術思潮について研究しています。また、フェスティバル・トーキョーという舞台芸術フェスティバルを含め、いくつかのところで舞台芸術を中心に日韓の仕事をさせていただいております。
さて、3つの学校の学生がブログで交流するという非常に面白そうな企画ですが、
芸大からはまだ登場してないのでしょうか。
みなさんはとても優秀な方だと小林先生から聞いたので、これからも色々と交流させていただいて、教えていただければ嬉しいです。色んな議論があり、有意義なスペースとしてこのブログが使われればと思います。
宜しくお願いします。
(芸・Hyo)
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