2012年12月13日木曜日

金曜2限「文化政策」

皆様こんにちは。
早稲田大学大学院政治学科のK.Iと申します。

小林真理先生の「文化政策」の授業を受講しています。
「国民の教化、アイデンティティの形成」としてのナチス政権下における「文化政策」について書かせていただきます。

まず、私自身は古代ギリシャの政治思想、特にプラトンとアリストテレスのそれに関して研究をしているのですが、プラトン『ポリテイア(国家)』で展開される教育論が、ナチス政権下においてその文化政策の理論的根拠として援用されたことはよく知られていると思います。例えば、プラトンとヒトラーは相似形のような関係にあると捉えたフランツ・ストロイシュ、1933年の党大会(「勝利の党大会」)での演説で民族間の「反平等主義者」プラトン像を描き出したアルフレート・ローゼンベルグなど、ナチ関係者を含め多くの人物がプラトンを引用してナチス政権の正統性を主張しました。

ここで彼らの主張とプラトンの原典を比較して、彼らのプラトンがいかに歪んだものかを示すことはしません(興味のある方は、佐々木毅『プラトンの呪縛』講談社、1998年をご参照下さい)。
ナチスによる文化政策に限らず、「国民の教化、アイデンティティの形成」を目的とする文化政策は、その本質上「我々」と「他者」を区別するものであるため、「我々」から除外される人々に対する排他性を形成するという側面もあります(このことはスリランカにおけるシンハラ政策からも窺い知ることができるでしょう)。つまり、文化政策は寛容であると同時に独善的であり、文明的であると同時に野蛮的でもある、そのような一面を持ち合わせている。
私個人の興味関心の話で申し訳ないですが、歴史上のこれらの危機の実相との関係でプラトンのもつ現代的な意義を、改めて考える機会となりました。

(早・K.I)

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