2012年12月31日月曜日

全国大会に出場して

みなさまはじめまして。早大・学部4年のイマイと申します。
とある事情から、文化政策の内容が必要になり、金曜2限の授業に潜らせていただいています。

この授業自体が政治経済の大学院に属しているためか、みなさまの投稿している内容に政治的な関心が多く見られます。そんな中、やや雰囲気のことなるものかもしれません。授業を通して思い浮かんだことを書きます。


私は今年(まだ12/31)、所属する合唱サークルで合唱コンクール全国大会に出場しました。今年の全国大会は、富山県の富山市芸術文化ホール(オーバードホール)にて11/24,25に開催されました。
大会の内容はともかく、行ってみて思ったのが、人通りの少なさです。私がずっと関東近郊に住んでいるため、そのギャップだったのかもしれませんが、富山ですれ違う人のほとんどが、本番舞台用の衣装を片手にもった同業者でした。それだけでは人通りの少なさがあるとは言えませんが、繁華街から駅を挟んで反対側のホールに向かうための地下道では、地元の方がどれくらいいるのか不安になるほどでした。繁華街も同様です。立ち寄ったコンビニでも、どこかで見覚えのある顔の人たちが・・・。この様子から、普段この町はどれだけの人がいるのか、もしかしたら今までにないくらい人通りが多いのではないかと思うほどでした。(こんなことばかり言っていては富山出身の方に怒られそうですね。ごめんなさい。あくまで個人の感想です。)
全国大会のようなイベントに付随して、一時的でも人の多さはそれだけ経済効果があるのは確かでしょう。宿泊施設、打ち上げ会場などは確実に利用されるし、会場近くのデパートには全国大会出場者向けのお土産の宣伝もありました。コンクールのような催しは単なる音楽祭や技術を競い合うことだけでなく、地域活性化の一翼を担ってもいると実感しました。
このような状況になるのも、そもそもは全国大会が毎年、各支部(北海道、東北、関東、中部、北陸、関西、中国、四国、九州沖縄)の持ち回りであることに由来します。毎年、会場が異なるのは何の問題もないように思えます。例えば、フィギュアスケートの大会、規模の大きいものでは国体なども各地で行われていたりしていますから、不思議なことではありません。もっと言えば、オリンピックも今では世界規模で(持ち回りではないが)各地域を挙げて取り組まれています。

そういった各地で行われる全国大会の一方で、毎年同じ会場で行われるものもあります。例えば、春・夏の高校野球や年末の高校サッカー、さらには中学、高校の吹奏楽コンクールです。それぞれ、甲子園、国立競技場、普門館と呼んだほうがわかりやすいかもしれません。「甲子園初出場」「国立まで行ったことある」「目指せ普門館」といった言葉は、その会場に行った、行きたいのではなく、全国大会出場という代名詞となっています。特定の場所がある競技の中では神聖化された場所であり、かなり特別な意味を持ちます。と同時に、「その競技と言えばどこそこ」のようなイメージ形成にもつながります。その競技を有名にする役割もあるかもしれません。メジャーな競技になれば、それだけ競技参加人口も増えますから、それが全国に波及することで直接ではなくても間接的に文化振興、経済振興の効果があると言えるかもしれません。
全国大会の場所が同じである理由は、各競技の歴史の中で紆余曲折あったのでしょう。ましてや中学、高校の部活動になぜか全国大会が決まった場所であることも多いため、何かあるに違いないのですが、私もこれについてはまだ詳しく知らないため、これからの課題としたいです。

さて、こう見てみると、全国大会のように人の行き来が確実にあるものを全国各地で行うことで経済の活性化が見込める一方、伝統的に決まった場所で行われていて、競技参加人口を増やし、間接的な方法で貢献しているものもあります。文化ホール利用や地域活性化のためには、持ち回っていたほうが良いように思えます。しかし、合唱の場合であれば、たかだか一日二日の催しであり、かつ47都道府県のうちでの持ち回りなのでたまたまめぐり合わせてやってくるようなものです。持ち回りだからといってそれが確実に各地域の文化振興や経済振興に役立っているのでしょうか。では、決まった場所でやるべきなのか、そうとも思いません。そのようなどちらが良いのかということが言いたいわけではなく、何が考えたいかと言えば、このような全国規模で行われている大会があることで文化振興だとか、活性化だとか言うばかりではなく、それを契機にして文化振興ができないのかということです。
全国大会を催すだけならば簡単でしょう。しかし、それがただの一過性のイベントに過ぎないということになっていては、全国大会という機会が活かしきれていないのではないでしょうか。特定の場所で行われるものはある種の閉鎖性も予想されますが、良いか悪いかは別にしてイメージ作りという面では成功していて、競技や文化として認識を強めていると言えます。まず競技や文化そのものを広く認識してもらわなければ、多くの人はとっつきにくいと感じてしまうばかりなはずです。政策と同時にイメージの形成という観点は実は同時に必要なのではないでしょうか。もちろん、あまりに政治的に利用されたりするのも注意しなければなりませんが。
また、一過性のイベントでしかないのであれば、大抵そのイベントに出向くのは一部のファンや関係者でしかないことが多いです。地域の方々にとってはいつの間にか終わっていたイベントです。特に合唱はCMで宣伝されたりもしません。全国大会が行われているらしいけれど、ホールの中では何が行われているのか、どのような様子なのか特に関心がなければ知り得ないことでしょう。フラッと立ち寄れるようなイベントではありません。富山での全国大会ではなく、富山にあるホールの中だけが全国大会なのです。

以前、ハンガリーの合唱祭に参加した際に、合唱祭の中心地域から少し離れた場所にある教会などでコンサートを開きました。これは自主的なものではなく、合唱祭のプログラムの一環でした。いわゆる出張コンサートですね。ただホールの中だけで展開されているイベントなのではなく、ある時期になると地域を挙げて盛り上がるということに大きな衝撃と感動を覚えました。この合唱祭は2年に1度開かれているので、その意味では一過性ではないのですが、大きなイベントにこそ、それに付随して文化振興ができるような機会があってもよいのではないでしょうかと思います。

なんだかまとまりのない話になってしまいすみません。拙文お許しください。
失礼しました。
(早・イマイ)

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