2012年7月31日火曜日

つながりのコミュニティ

みなさん、こんばんは。芸・nbkmです。
ブログを通して、さまざまな意見交換が行われていて、非常に興味深く参加させていただいています。

私の所属する研究室では、文化・芸術と社会課題との関わりも、研究の焦点となっています。
何より、学生が運営を担うプロジェクト全てがそのような側面を持っています。

そういった関心から出会ったある本を紹介したいと思います。

佐藤友美子・土井勉・平塚伸治『つながりのコミュニティ 人と地域が「生きる」かたち』(岩波書店、2011年)です。

コミュニティ論なのですが、新たなコミュニティのあり方として紹介されている事例には、
「アトリエ インカーブ」や「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」なども紹介されています。
事例検証を踏まえて、現在コミュニティというものがどのように機能しているのかについて書かれているものです。

インカーブの事例では、障害者と社会をつなぐものとしてのアート、
越後妻有の事例では、土地の人、外部の人をつなぐものとしてのアートということで、
人と地域が「生きる」かたちを形成していくための重要な資源としてアートが取り上げられていました。

私たちの研究室で行っているプロジェクトにおいても、起こせる何かは小規模かもしれませんが、
アートが地域に関わる意味が非常に大きいことは間違いありません。
「コト」を仕掛ける側にいる我々にとって、アートと地域が関わることにどのような意味があるのが、
それによって何がもたらされるのか、地域の人々にその地域の資源として受け止めてもらえるのか、
といったことを考えることは非常に重要です。

この本は、実践を主軸におく我々にとっては、そこに起きた現象をどのように言語化するかのヒントになるし、
研究を主軸におく方々にとっても、今どういう現象が起きているのかを、実践的視点から知ることができるので、
非常に興味深いのではないかと思います。
3.11以降に出版された本なので、被災した後の社会のことも考慮してあると思います。

ぜひ読んでみていただけると嬉しいです。


(芸・nbkm)

一体感のあるコンクール

はじめまして、茶・umeです。

遅れをとりまして、本日初コメント・初投稿になってしまいましたが、みなさんのご投稿とても興味深く、記事を拝読し楽しくコメントさせていただきました!


今回は、先日スタッフとしてお手伝いに伺った、とある日本歌曲のコンクールについて、印象的だったことを中心に書きたいと思います。


当コンクールは平成2年に発足し、出場者は228人と極めて多く、その年齢層は20歳代~80歳代と幅広く、参加者の所属もさまざまです。実際に行ってみるまで、このように広くながく親しまれている秘訣は何なのだろう、と考えていました。コンクールというと、競争の場であるために、クリティカルな視線が飛び交い、会場全体が独特の緊張感で満たされていると想像する方も少なくないのではないでしょうか。しかし、実際にスタッフとして参加してみると、上述の通り多数の出場者の中でハイレヴェルな争いが繰り広げられるにもかかわらず、単に技術を競うだけでなく、全体が一体となって、日本歌曲を楽しみ探究しようとする一体感のある催しであるように感じました。


実際に現場でふれあってみて肌で感じたのは、その場に集っている人々の目的はさまざまですが(個人的なことも含むので詳細は割愛します)、しかし音楽に対して心から取り組もうとする姿勢であるということは共通している、ということです。とりわけ、他の出場者の歌唱に合わせて小さく口ずさみ、「この曲好きなんだ。来年はこれにしようかな。」とおっしゃっていた方や、歌い終わった後に、溌剌と「やっぱり歌うっていいことね。ぼけ防止にもなるわ!」とおっしゃっていた方が印象的でした。

また、出場者がその場でどのようなことを疑問・不安に思うか、等を考えながら行動するよう心がけましたが、それとは逆に、参加者の人柄や温かな雰囲気のおかげで会が円滑に進み、それぞれの相互作用の上で成り立っているということも、身を以て体験しました。


私が今回お手伝いさせていただいたこのコンクールは、20年以上にわたって培われてきたコンクールの伝統と、企画・運営者のご尽力、人々の交流・連帯感が作用し、コンクールという競争の場にとどまらずに、普段さかざまなコミュニティーに属する人々が集い、それぞれに音楽を追求しながら、全体で一体となって日本歌曲を味わい醸成していくような場として機能しているということが、素晴らしい特色であると感じました。日本においては、とても希少なものなのではないかと推測しますが、どう思われますか。

このコンクールのような性格を有した催し物をご存知の方は教えていただきたいです!(茶・ume)

こどもと文化政策(と広報と市民としての自覚?)

みなさんはじめまして。お茶大のjasmine@seaと申します。
書きたいことがいろいろありすぎて、何を書こうか迷っている間に、こんなギリギリになってしまいました笑

迷った結果、今回は自己紹介を兼ねて、私の子ども時代の経験から、「こどもと文化政策」についてお話しすることにします。

私は現在お茶大M2で日本近世史(≒江戸時代)を専攻し、副専攻として博物館学を学んでいます。このブログに集っている方々は、「文化」と聞くとダンスや音楽など「芸術文化」「アート」をまず連想される方が多いかと思いますが、私は生活全般といった意味合いで「文化」を捉える傾向が強い人間です。大学では「芸術文化」に触れる機会はなく、これまで芸術文化をアカデミックに考える機会もありませんでした。普段の生活でもそれほど意識することはありません。

かといって私が芸術文化に全く興味がなく隔絶された生活を送ってきたというわけではありません。

特に子どもの頃は、夏休みになると連日のようにあちこちの劇場で開かれたイベントに参加していました。私は横浜市出身なのですが、みなとみらいホールでパイプオルガンも弾きましたし、渋谷の円形劇場?で幻想的なお芝居も観ました。
また、私の弟は横浜能楽堂で開かれた「こどものための狂言ワークショップ」に参加したことがあります。これは夏休みに数日間のワークショップに参加した後、希望者はさらなる練習を積み実際の能舞台で演じることができるものです。色々な学年のこどもたちが一緒になって練習をし、本物の舞台で演じたことは、10年経った今でも忘れられない経験となったようです。この横浜能楽堂は平成17年度のJAFFAアワードに選ばれています。(私は間違いなく参加者の中で最年長になることに恐れをなして、応募しなかったのです・・・。モッタイナイ!!)

またこうした芸術文化分野だけでなく、動物園で図鑑を作ったりバックヤードに行って掃除をしたり、自然系・歴史系・技術系など様々な博物館に行ったりと、多様な分野の文化イベントに参加していました。一日で渋谷にあるNHK、電力館、たばこと塩の博物館、プラネタリウム、こどもの城を回るのは、夏休みのテッパン行事でした笑

こうした経験たちは間違いなく私の世界を広げてくれました。みなとみらいホールでは、横浜にちなんでかもめの形にデザインされたパイプオルガンであることを知り、ますます横浜という場所が好きになったことを覚えています。また同級生の多くが学校の勉強を教科書の範囲内ででしか捉えられないのに対し、私たち姉弟は学校で学んだことを博物館や動物園で見聞きしたことと照らし合わせて、実際の世界に位置づけて理解できていたように思います。

これらたくさんのイベントに参加できたのは、私の母がこうしたものに関心が強く、自治体の広報紙をくまなくチェックして応募してくれたからです。(私の母は、母の母、つまり私の祖母にやはり夏休みにいろいろなイベントに引っ張り回されたそうです笑)ですが、母曰く、こうしたイベントへの参加方法が分からないというお母さん方が多かったといいます。

こうしたイベントは間違いなく参加する価値があるものだと思います。さらに、こうしたイベントは「招待」が多く、参加費がかからないものも多いです。

より多くの子どもたちに参加してもらうためには、イベントを提供する側が確実に情報を届けるための工夫を凝らすことも確かに必要だと思います。ですが、私は市民が市民としての自覚をしっかりと持って、行政が提供しているサービスを積極的にキャッチしていくという姿勢が非常に大切ではないかと思っています。

私自身も市民としての自覚を持って、提供されているサービスを貪欲に利用していこうと思っています。

簡潔に意図を伝えるのはなかなか難しいものですね・・・笑
みなさんはどんなイベントに参加したことがありますか??


茶・jasmine@sea

ダンスであることの意味について悩んでいます

皆さまこんにちは!芸大のありおといいます。(女です)


現在学部3年で、舞台芸術と身体表現のゼミに所属して勉強しています。
小さい頃は、地元のスポーツセンターでやっている子供バレエ教室に通ったりしていたのですが、今現在は大学にてコンテンポラリーダンスを教わっています。入学当初はコンテンポラリーダンスをほとんど知らなかったので度肝を抜かれましたが、今は大好きなのもそうでもないのも、色々見て見解を深めているところです(^^)

いきなりお悩み相談みたいになるんですけれど(苦笑)、今悩んでいるのは、ダンスはどうあるべきか ということです。
私のゼミでは気軽に作品制作ができてやりたければ誰でも自主公演を行えるのですが、私は今まで制作や出演者として参加することはあっても自分の作品をつくりたい、もしくはつくれる、と思ったことはありませんでした。ですが3年生になってやっと、自分でも自分の作品づくりをしたいという意欲がものすごい出てきて、制作を始めようとしているところです。その時になって、改めて「なんでダンス?」とか、「観客に対して何をどうしたいの?」といった問題にぶち当たりました。

芸術が誕生して必要とされている意味や理由みたいなものは多々あると思いますが、美術や音楽を省いてとりあえずアート作品としての『ダンス(+演劇・パフォーミングアーツ)』というものを考えると、ダンスと娯楽性は切り離せないものだと思います。しかしそれと同時に社会性も持っていなければいけません。ダンスも沢山のジャンルやタイプが生まれてある意味「出尽くした」と言えるかもしれない今、ただ単に好きだからといった動機だけでやったってそんなに意味はないし、ダンスが何を問えるのか、提示できるのか、こういうことを考えはじめると何だかもうぐちゃぐちゃーってなってしまいます(笑)経験不足に知識不足ですね…

また、国によっても「ダンス」の持つ意味は異なってくると思います。ダンスで仕事をしている人の立場や在り方も全然違うと思います。日本の場合はどうなんでしょう。ただ世間一般的に見て、いち職業として確固たる地位を与えられているようには見えません。悩んでしまいます…


こんな感じでだらだら書いてしまいましたが、皆さんにとってのダンス観とか伺えたら嬉しいですし、もちろんダンスでなくても何でも、ぜひ色々と教えていただければと思います(^^) よろしくお願いします!


(芸・ありお)
初めて投稿させていただきます。
東京藝大学部3年の森本菜穂と申します(芸・nahoで投稿させていただいています)。
笠原さんや小林さんと同じく一般社団法人谷中のおかってというアートプロジェクトを企画運営する団体に参加させていただきながら
「ぐるぐるヤ→ミ→プロジェクト」に関わっており、この現場とは今年で3年目のお付き合いになります。

わたしは昨年と今年でタイプの違う2つの企画を担当しました。
最近それぞれの魅力と難しさについて考えることが多くなったので、こちらに書かせていただきます。

昨年担当したのは、京都在住の陶芸家きむらとしろうじんじんさんによる「野点」という企画です。
招聘したアーティスト、じんじんさんはとても有名な方なのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
ドラァグクイーンのような出で立ちのじんじんさんがリヤカーに素焼きのお茶碗と陶芸釜、釉薬を積んでまちに現れ、
まちの風景や行き交う人々の中でお抹茶陶芸屋台をおこなうという企画です。
日常的な風景の中に、派手な装いのじんじんさんと窯を囲んで人々が集まっている場が立ち上がる光景は非日常的で、
何が起こっているのか、誰が集まってきているのかというわくわくするような謎と魅力を感じられます。
今年度は岩手県大槌町で開催予定です。



そして、今年度担当していて、いま開催まっただ中なのが「谷中妄想カフェ〜ちょうちんもってちょっとそこまで〜」という、夜の散歩企画です。
この企画は〈谷中のおかって〉のオリジナル企画です。
情緒あふれる台東区谷中地域の静かな夜のまちなみを個性的なナビゲーターに導かれてめぐり歩き、
ろうそくの火が灯されたちょうちんのあかりで味わう散歩を提案しています。
昨年に引き続き2年目の開催です。

↓〈谷中のおかって〉blog
http://blog.okatte.info/?eid=37
↓TABlog「谷中妄想カフェ~ちょうちんもってちょっとそこまで~」-昨年開催の際に記事にしていただきました。
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2011/08/moso-cafe-yanaka.html


この2つの企画の大きな違いは、魅力的な存在の"アーティストとその作品"があるか否かです。
「野点」の運営の際にはじんじんさんと話し合いを重ねながら〈谷中のおかって〉にとっての開催の意味合いも考えて運営していましたが、
その根本にはやはり「野点」のコンセプトが大きく存在し、その周辺を固めていく作業が主になっていました。
なおかつまちの方や行政の方に説明をおこなうときにもパッと派手なビジュアルが示せることや、
じんじんさんの言葉を咀嚼して伝えられることにもどこか寄りかかってしまっており、
〈谷中のおかって〉が当企画をおこなう意味合いを言葉にしていくのは最も重要なことでありながらなかなか考えられていませんでした。
またじんじんさんはファンが多く、スタッフやお客さんの呼びかけをおこなうと遠方からたくさんの方々が訪れました。


しかし、「谷中妄想カフェ」の場合は目玉アーティストが存在しません。
つまりコンテンツを充実させ、それを発信していく方法も工夫していかなければ人を集めることも出来事を起こすことは出来ません。
本番ナビゲーターやパフォーマーをやっていただくのは〈谷中のおかって〉の声かけによって集まったボランティアスタッフのみなさまです。
彼らに気持ちよく関わっていただき、力を存分に発揮していただくことが企画の魅力に直結します。
また、まだ若い団体ですがファンの獲得にも力を入れていかなければなりません。


いま、このコンテンツの魅力を企画運営側で共有していくことの重要さ、そして難しさを感じています。
業務連絡のためのミーティングだけでは共有しきれない、言葉にすることも難しいような魅力の予感を話し合うことの必要性、
またそのためのチーム作りがいまさらながら課題になっています。
このままでは外から人を呼び込み受け入れていくための器が用意できないと感じ、少々焦っています…

最低限の運営スキルを身につけ、現場を安定したものにしていくことに加え、
アーティストが居るかどうかに関わらず、「この人たちと一緒に活動してみたい!」と思っていただける団体になることが、
継続して文化を創造していくという流れに身を置いて活動するために必要なことだと感じています。


そのメソッドはおそらく存在せず、出来事を起こし続けることでしか得られないと思いますが、
これからもその部分にも意識をおいて取り組んできたいと思っています。

(芸・naho)

2012年7月30日月曜日

地域・町文化の輸出


こんにちは。
はじめまして、お茶大のA@g.economicです。
夏本番を迎えて、皆様いかがお過ごしでしょうか。


まずは自己紹介から。

私は社会人学生で、経済地理専攻なのですが、「文化マネジメント」ってどういう意味なんだろう?
と思ったことと、以前から私の研究テーマに含まれている、
「ローカルミリュー」と文化との関連性について理解するためにも、
「文化」を勉強しなくては!と考え、授業を受講しました。

ミリ ュー (miーieu) という単語は 「環境」 を意味するフランス語 で,
自然環境の他に、社会的文化的な環境を意味する言葉として使われているようです。


経済地理では、地域などの空間分析もしています。
その中には経済や文化、政治などの様々なアクターが重なっており、
私自身、経済と文化は、かけ離れたところに位置しているものではないと思っています。


この授業を通して、新しい知識を習得できたことや、
実は文化がとても身近に存在しているということがわかり、私にとって、非常に有意義なものとなりました。


私は文化に関する知識がまだ少なく、勉強をはじめたばかりで、提供できる情報量も少ないですが、
今回は、諏訪への滞在を通して思い至った、
グローバル経済の発展おける文化伝播や保存に関して、少し感想を書きたいと思います。


私は、7/24日~28日まで、産業集積に関する調査の一貫で長野県・諏訪に滞在していました。
諏訪は盆地のため、昼は暑くて、夜は過ごしやすかったです。
滞在期間中に地元の美術館に立ち寄ってみたのですが、
諏訪地域には質の高い美術館や博物館が多く、その数の多さに驚きました。

諏訪湖周辺を散策したのですが、北澤美術館をはじめとして、美術館や博物館が集積していて、
授業で先生からお聞きした博物館や美術館が抱える運営の問題などが頭をよぎりました。


諏訪の人たちにお話しを伺うと、諏訪人には「諏訪人気質」というものがあり、
戦国時代から、つぶされても、また新しい技術を身につけるということを繰り返しながら、
生き残り策を見い出し、発展してきたそうです。

妥協のない職人気質があり、個々人の知識レベルが非常に高く、
グローバル感覚が強い人たちが多いことも「諏訪」の個性だと感じられます。
(諏訪ご出身の方がいらっしゃれば、ぜひお話をお聞きしたいです。)


多くの美術館を目にして、産業同様(諏訪は「東洋のスイス」と呼ばれていますが・・・)、
文化についても、グローバル化を背景に、
地域・町単位で文化を世界に輸出すると、どうなるのだろう。などなど考えることが多くありました。

たとえば、「○○町」、「○○地域」そのものを『○○町スタイル』として輸出し、
定着させるというような・・・。
⇒秋葉原などの「空間」が定着している状態に少し近い感じでしょうか。
(このブログ関係者には文化に詳しい方が多いと思われますので、
是非、具体例などご存知の方がいらっしゃれば、お教え頂ければ幸いです。)


日本の魅力を日本国内はもちろん、海外へも発信し続ける活動は、
数多く存在していると思われますが、文化の継承や保存には、担い手の問題もあるかと思います。

「場所」を選ばなくてもよいのであれば、
輸出文化が良い形で利用されると、活性化する地域や施設が増え、
文化の継承や保存、経済的にも良いのでは。と思いました。


課題や問題点もあるとは思いますが、
民間や行政に、文化継承に関するポジティブさがあれば、
そうした課題や問題点も、少しずつ改善していくことができるのではないでしょうか。


文面ではなかなか上手く伝えられないこともありますが、
芸大 kalingaさんがご提案されているoff会も、ぜひ実現させたいですね!
機会がありましたら、皆様とぜひいろいろお話ができれば幸いです。

(茶・A@g.economic)


日本の街並


はじめて記事を投稿します.よろしくお願いします.

私は修士論文の研究を「路地・横丁」に関するテーマにする予定なので,このブログでもそのことについて書いていこうと思います.

東京内には主に江戸〜現代にかけて時代とともに様々な路地や横丁ができてきました.
例えば...
神楽坂の入り組んだ路地は江戸時代の花柳界とともに,
上野のアメヤ横丁は戦後の闇市から発展しています.
建築史家の陣内秀信氏は路地や横丁を『末端に無数のミクロな都市空間があり都市社会の安定を生む』日本(江戸,東京)特有の都市のスケールだとしています.
私も路地や横丁は日本の歴史や文化に関わる重要な街なみだと考えています.

ところが今後,路地や横丁はなくなっていくかもしれません.
なぜならば日本の建築基準法では
『建物の敷地は幅員4メートル以上の道路に接している必要があり,その要件を満たさないと建築は認められない』
とされています.
路地や横丁は4メートル以下の道路に接しているものがほとんどです.
なので,もしも建て替えを行なう時は建物がたっている敷地を削ってそこを道路にして幅員を広げてから建て替えなければなりません.

路地や横丁でこの建て替えが起こっていった場合(実際,路地や横丁内の建物は老朽化しているものが多々ある)どうなるでしょう.
道幅が広げられ,『ミクロな都市空間』はなくなってしまいます.
もちろん,防災防火や先にも述べた建物の老朽化など路地・横丁にも様々な問題があるのは確かですが...

関東大震災や戦争の空襲を間逃れてきた数少ない昔からの路地や横丁もなくなるしかないのでしょうか.
著名な建築家が建てた建築や景観が美しい街と同様に残していくことはできないのでしょうか.
また,皆さんは残すべきだと思いますか?考えをお聞かせ頂ければうれしいです.

お茶・saa





ヨーロッパの夏はフェスティバル・シーズン

20日にすべての授業を終え、本務校での入試説明会を21日に終え、22日にドイツに向けて飛び立ち、昨日戻りました。今回は、研究の打ち合わせと、州立図書館での資料閲覧だったのですが、夜はフェスティバル・シーズン真っ盛りのヨーロッパを楽しんできました。クラシック音楽ファンには、堪えられないです。夏のヨーロッパは本当に気持ちよくて楽しいです。今年はドイツも珍しく猛暑のような暑さでしたが、からっとしているので日本よりはずっと過ごしやすいです。ちなみにヨーロッパのアートマネジメント研究では、フェスティバル研究は重要な領域の一つです。

私が出かけたのは、ミュンヘンのオペラ・フェスティバルと、ニュルンベルクの国際グルック・オペラ・フェスティバルですが、この時期は本当にフェスティバルまっさかりです。ちょうどザルツブルク音楽祭やバイロイト音楽祭が開幕した時期だったので、連日、ニュースでは開幕の模様が報道されていました。こちらがそういう目で見ているからかもしれませんが、日本に帰ってきたらオリンピック一色なのとは大違いという印象です。「今年も、夏のオペラのフェスティバルが開幕しました」という感じで(日本だとフジロックかなぁ)、それだけでもわくわくします。フェスティバルは、シーズン中の公演とは異なり、著名な歌手を呼んできての公演になるので、チケットも高額になりますが、それでも日本で公演を見るのと比べれば、ずっと安いですから、満足度も相当に高くなります。チケットは取りにくいですが、皆さんも是非、夏のヨーロッパを経験してみてください。

見たオペラ
ヴォツェック、ホフマン物語、トスカ、エレクトラ、トゥーランドット、ポンテのミトリアーデ。

(M.K)

劇場における“教育”の側面



日中国交正常化40周年を記念し両国の国立劇場である、新国立劇場と中国国家大劇院が、オペラの共同制作公演を行い、7月27、29日に新国立劇場にて『オペラ・アイーダ』が開演された。欧米の歌劇場で活躍する日本、中国の歌手陣が揃い、両劇場の総勢100名の大合唱とともに、祝祭的なオペラ「アイーダ」を歌いあげる。
今回私は当劇場の〝アカデミックプラン〟のプレゼントキャンペーンに当選し、観劇することとなった。アカデミックプランとは、25歳以下の青年が対象で、オペラのS、A席のチケットが5000円、バレエ、ダンス、演劇のチケットが定価の半額で購入できる。また、オペラのゲネプロを無料で観劇でき、定期的にイベントやお得な情報が届くという活気的な企画である。参加方法は新国立劇場のサイトで登録し、抽選に応募するというものである。私は前回当選した「ローエングリン オペラゲネプロ鑑賞会」の観劇を含め、今回が二回目の参加となった。以下に、当プランの仕組みや、劇の感想を述べる。当選のメールには、チケットの受け取り方法の他、以下のような事項が記されていた。


「2つほどお願い」
ひとつめ:日中の共同企画のこの公演は、中国側も素晴らしい歌手に参加していただいております。国を超えたこのパフォーマンス、互いをリスペクトし合い、きっと素晴らしい音楽が奏でられることと思います。どうぞ観客の皆様は良い演奏には惜しみない拍手と、「ブラボー!」の声をよろしくお願いいたします。
ふたつめ:夏の暑い時期のこの演奏会、特にドレスコード(服装指定)はありませんが、よろしければちょっとお洒落していらっしゃいませんか?皆様のような若いお客さまがちょっと素敵な格好でいらっしゃいますとロビーの雰囲気や公演全体が華やかになりますので。


このように、劇を盛り上げてもらおうという意図が伝わる。とりわけ、今回は記念すべき日中国交正常化40周年という国家間の重要な行事でもあるため、当選者は祝賀ムードを盛り上げる要因でもある。チケットの受け取り方法は、アカデミックカウンターにて名前を告げ、チケットを受け取るという簡単な方法であり、他の機関を通すことが一切ないため利用し易い。席は一階席と無料招待にしては好待遇であり、四階席で観たゲネプロに比べ、音の響きも格別であった。
場内の客層を見渡すと、客層は老年代の方が多い。アカデミックプランは、格式が高いというイメージや、金銭面で劇場に足を運び辛い若い世代に対し、様々な企画を設け、そのような“制限”を緩和する目的があるのだろう。残席を埋めるという目的ならば、対象を限定する必要はないが、なぜ“若者”に向けているのか。
以下は、パンフレットに記載している新国立劇場についての一部抜粋である。

若い世代に優れた生の舞台を鑑賞する機会を提供することも重要な役割の一つとしており、「高校生のためのオペラ鑑賞教室」、「こどものためのオペラ劇場」、「こどものためのバレエ劇場」などの教育・普及公演を開催し、将来の観客育成にもつとめています。


アカデミックプランは上記の企画の対象者に比べ、年齢層の高い、より学究的な者を対象としている。芸術とは無目的である、芸術を享受するには段階を踏む必要がある、という考えがある。私は、芸術が人間に及ぼす影響とは何か、という問いに確実な答えを出すことはできない。また、芸術を教育の目的とするにしても、その成果ははっきり表れるものではない。しかし、芸術とは定義できない。ある種、未知の可能性を秘めている。また、歴史的にも明らかであるが、芸術は大きな影響力を持つ。ならば、芸術に“教育”という目的を持たせ、最も感受性の豊かな世代に対し、最も上質な芸術を提供することは望むべきことではないか。今後も劇場に、芸術をさらに“教育”の面でも発展させていって欲しい。

日中国交正常化40周年記念 2012「日中国民交流友好年」認定行事
オペラ「アイーダ」<コンサート形式/カットあり>東京公演
台本 アントーニオ・ギスランツォーニ  作曲 ジュゼッペ・ヴェルディ  
日時:7月27日(金)5:00 29日(日)2:00
会場:新国立劇場オペラパレス
指揮:広上淳一
出演:ヘー・ホイ/水口聡/清水香澄/ユアン・チェンイェ/妻屋秀和/ティエン・ハオジャン
合唱:新国立劇場合唱団 国家大劇院合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

(茶 A.O)

2012年7月29日日曜日

サルサ

はじめまして。お茶大のE.salsaです。昨日はオリンピックの開会式に癒されました!
これまで様々なジャンルのダンスに挑戦してきたのですが、今年の3月から夢中になっているサルサ、特に日本(東京)でのサルサ事情について紹介します。イベントを作ろうとしていますので、コメントをいただけると嬉しいです。

サルサは元々南米のダンスですが世界中で踊られています。パフォーマンスもされていますが、ペアで即興で楽しく踊るものです。男性がリード、女性がフォローをします。音楽に合わせて基本のステップをひたすら踏みながら、男性が女性の腕を持ち上げたり肩や腰を押したり引いたりして合図をし、女性がそれに応えて体の向きを変えたりターンしたりするのです。足を踏みかえる、体重移動の瞬間に上手なリードがきて曲に合わせてくるりと回れるととても気持ちいいです。イメージとしては、動く歩道から降りる時の感覚です。自分で歩いているのですが歩道によって勢いがつけられているので自分の力だけで歩くよりも勢いよく、大きく前に進みますよね!あの感覚を次々と味わえるダンスです。一方男性は、「女性を自分の思う通りに動かせると気持ちいい」と言います。

サルサが生活の一部となっている地域では、子供の頃から大人の真似をして踊り、青年になると恋人と踊り、年をとると目を閉じて音楽を楽しみながらゆったり踊る、そんな風に一生サルサを楽しみます。お父さんやおじいさんにレディーとして扱われ、大切にリードされて、女の子は自分を安売りしないようにと教えられます。お母さんやおばあさんをリードすることで、男の子は女性は大切に守らなくちゃいけないんだと学びます。こんな生活からサルサだけを切り取って趣味として日本にもってきたら、どうなったと思いますか?始めたばかりの私にはちょっと受け入れがたいことがいくつかあります。

まず、セクハラが多発してます。驚くことに、「サルサでも習わないと異性に触れる機会のない人」がたくさんいて、手をつないで踊るうちに相手も自分が好きなんだろうと勘違いしてしまうのです。

また、好きな時に好きなだけ踊るのが難しい状況です。サルサ人口がまだまだ少ないので、相手を選んでいたら踊る人がいなくなってしまうという環境なんです。海外ではカップルやグループでクラブに行き、疲れたらお酒を飲みながら休憩し、好きな曲がかかるとまた踊ります。カウンターでたまたま隣に座った人と意気投合して「では一曲踊りますか?」ということもあります。

しかし日本では1人で踊りに行く人が多く、全く知らない人同士がどんどん手を取り合って踊ります。基本的に男性が女性をダンスに誘います。中には誘われずにずっと壁際で座っている女性もいるし、誘って断られ続けて踊れない男性もいます。ちなみに友達とかファンとかで、女性が男性を誘うこともあります。(その場合男性は絶対断ってはいけません。)女性は誘われなくなるのが怖いので、休みたい時でも、そしてあまり好みではない人でも、声をかけられると大抵踊ります。嫌いな人を断る時の常套句が「いま休憩してるので…」なので、本当に休憩したい時でも、相手に「断られた!もう彼女は絶対誘わない!」と思わせないために踊るんです。

セクハラするような、また、そこまでいかなくともデリカシーのない、サルサ以外では異性と交流できない人を完全に排除した毎月開催のパーティーをつくろうとしている友人がいて、手伝っています。今までに2回開いていて、彼と私の知り合いばかり呼んで開いたので変な人は来なかったのですが、初心者ばかりなのでレッスン+飲み会という雰囲気になってしまい、自由に踊る人は少なかったし、参加人数自体もかなり少数でした。つてのない、サルサが踊れるお客さんにも参加してもらい、でも変な人は排除するためにはどうしたらいいでしょうか??いくつかの老舗のイベントでは、ドレスコードや「セクハラしたら出入り禁止にしますよ」という張り紙をするなどの工夫をしていますが、どれも成功していません。一度参加してくれた人々に口コミで広めてもらうしかないんですかねー。
(茶・E.salsa)

指定管理者制度

こんにちは。
お茶大のMMMです。

私は物理学専攻なのですが、「文化マネジメント」ってなんだろう?
わからないけど面白そう!と思い、授業を受講しました。
受講してみて、今まで知らなかった知識や見方を得られ、とても有意義でした。
私は文化・芸術に関する知識が浅く、あまり提供できる情報もないので、
今回は授業で学んだ「指定管理者制度」に関する感想を書きたいと思います。

文化マネジメント論の授業で私が特に興味深いと思ったのは、「指定管理者制度」についてです。
指定管理者制度は、皆さんもご存じのとおり、公の施設の管理・運営を地方公共団体等だけでなく、民間企業やNPOなどを含む幅広い団体に代行させることのできる制度です。
私は授業で初めてこの制度について知りましたが、きちんと活用されれば非常に良い制度だなと思いました。
民間が運営する方が利用者にとって便利なサービスが増えることも多いと思いますし、
集客ノウハウも行政より民間の方が長けており、またコスト意識が高く効率的な経営が可能だと思うからです。

例えば、私は千代田区立図書館を何度か利用したことがありますが、ここは22時まで開館しています。
私は以前、千代田区内の企業で会社員として働いていたことがあるので、会社帰りにこの図書館を利用していました。
ふつう図書館というと、大体20時くらいまでしか開館していないので、
会社員が仕事が終わった後に利用するのは時間的に難しいことが多いです。
しかし千代田区立図書館は22時まで開館しているので、珍しい図書館だな、便利だな、という印象をもっていました。
今、指定管理者という制度を知って、改めて調べてみると、千代田区立図書館は
2007年に指定管理者による運営を開始してから、22時までの開館だけでなく、
その他多くの新しいサービスの企画・開発が行われ、
来館者数を大幅に増やしたことで注目された図書館だったようです。

もちろん、指定管理者導入・運用にあたっては、
利便性や収益だけでなく、文化・学術的な内容・水準が保たれているかなどを
行政がモニターしていく必要はありますが、
この制度が良い形で利用されて、活性化していく施設が増えると良いと思います。

実際に運用していく上で、色々な課題や問題点もあるとは思いますが、
指定管理者を選定・評価する行政側に、この制度を最大限に活用する意欲・能力があれば、
そうした課題や問題点も、少しずつ改善していくことができると思います。

また、芸術・文化に関わる職業につきたい人にとっても、この制度によって活躍の場が
多種多様に増えるのではないでしょうか。

(茶・MMM)

復活しました。

一時期ブログが使えない状況になっていましたが、復活しました。
どうして使えなくなっていたのかはわかりません。おそらく投稿している時に誤って削除をしてしまったことなどが考えられますが、気をつけましょう。
よろしくお願いします。
(M.K)

2012年7月27日金曜日

中国の少数民族文化政策について(ocha.YING)

 

はじめまして、お茶大のocha.YINGです。

私は中国からの留学生で、朝鮮族です。多分皆さんもご存じだと思いますが、中国には漢民族以外に、55の少数民族があります。朝鮮族もその一つの例です。これらの少数民族は、各自の文化、伝統、言語を持ってます。中国では、各少数民族自分の文化発展を支援するために、多元文化政策を進めています。今日は、中国の多元文化政策について話したいです。

中国では「わが国は、統一的な多民族国家である」と主張し、人数が圧倒的に多く、各分野で主導的役割を果たしている「漢民族」と、固有の文化をそれぞれ持っている「少数民族」とが互いに尊重しながら国家の建設を進めるようにしています。少数民族に対して、政府からいろいろな優遇政策があります。食物配給制の時代に、少数民族は漢民族よりいい食品が配給されていました。うちのおばあさんの話によると、1960年代にうちは米が配給されたが、隣の漢民族はコーンが配給されました。いまでもいろいろな優遇政策があります、たとえば、少数民族には二人の子供を産むことが許されること、少数民族の学生は大学入試試験でプラス五点などの政策があります。

それでは、少数民族の文化を発展向上させるために、どんな文化政策を施行しましたか?中国政府は民族文化を尊重することを原則として、さまざまな少数民族文化振興政策を作りました。一つとして、国が資金を投入し、少数民族自治地区に公立文化施設(文化ホール、博物館など)を建設することによって、少数民族各自の芸術文化、歴史文化を発展させます。私も延辺朝鮮族自治州で育てられたが、今も子供の時におばあちゃんと一緒に州立文化会館で朝鮮族踊りを見に行ったことを思い出せます。他として、少数民族文化芸術人材を奨励すること、漢民族少数民族文化交流活動の開催、少数民族文化資源の保護などの文化政策があります。

しかし、私の目から見れば、少数民族の文化は全体的に漢民族文化の同化される傾向があります。少数民族優遇政策がありますが、政治、経済、文化などの分野で実はほとんど漢民族が主導権を握っているため、多くの少数民族は社会の発展に従い、自分の民族特徴を失っていきます。漢民族の各少数民族の学校も自分の言語より北京語(中国の標準語)を重視しています。漢民族と結婚する少数民族もだんだん多くなり、その子供はほとんどもう少数民族の言語が話せないケースもたくさんあります。

56の民族がある中国で、多元民族文化を発展させるに、これらの文化政策で本当に民族文化の維持を保証できるかと私はよく思います。みなさんはどう思いますか?

2012年7月26日木曜日

- 新しい(?)形の検閲についてー 写真展「重重-中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」の事件(?)から

こんにちは。 始めまして。私は東京芸術大学M1のjinと申します。暑い中、皆さん元気で過ごしてますでしょうか?まず少し自己紹介をさせて頂きます。私は韓国人の留学生で、学部(韓国の大学)では心理学を勉強しました。心理学を勉強したからか、理由は良く分かりませんが、現在、アートマネジメントの勉強をしながらも常に個人の問題や社会問題に目が向いてしまいかちです。研究したいテーマも簡単に言えば‘社会包摂’に関するアート活動です。(日本の様々な活動を知りたいので教えていただくと、とてもありがたいです。)
早くここに文章を書こうと思いましたがなかなか出来ず、今になってしまいました。前からみなさんが書いた文章を読んで, 同じ分野にもかかわらず個人の関心事や観点がこんなに多様なんだと感じて刺激も受けたし,勉強にもなりました。
私は一ヶ月前ぐらい,facebookを通じてこういうことを知られました。新聞にも記事化されたので読んだ 方々もいらっしゃるかもは知れません。
簡略に記事による内容を整理しますと,“名古屋に在住している韓国人写真家安世鴻さんの写真展、「重重−中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」が7月に新宿のニコンサロンで開催される予定だったが,写真展に関する抗議が殺到したことから、開催予定日の先月である6月になって突然′中止決定になった。またその理由は展示内容が政治活動に当たるという理由だった。安さんはこれに不服としてニコンが予定通り写真展を開催するよう求める訴えを東京地裁に起こし、6月22日東京地裁からニコンに写真展の開催を命じる 仮処分が下され,予定通り写真展が開かれた。” という一連の内容でした。
写真展が開かれた後にも色々なことが起きたと分かっています。
私は最初、この事件(?)に接した時, 率直に言わば,一人の韓国人として感情的に反応しました。
しかし, このようなことが特に芸術文化の分野ではどの国でも,あるいはどんなジャンル,どんなテーマを問わず発生するのではないか!ということを悟った(?)ので、少し違う観点で私が感じたことや気になったこと などを書いてみようと思います。(たくさんコメントしてください。! 私が思いもよらなかった部分を共有できたらと思います。)

 
まず, 私がこの事件(パッと思いつく言葉が無いので事件といいます。)を知って,最初に思ったのは今の時代で‘検閲’は誰によって行われているのかということです。既存で‘検閲’はたいてい国家や公権力によるもので, それによって‘表現の自由’は抑制, 抑圧されて来たことは世界史の流れで簡単に見られます。現在には憲法第21条で検閲を禁止,‘表現の自由’を保障させているし, 今度の事件でもその憲法に基づいて,東京地裁から写真展を予定通り開催を命じる処分が出たと考えられます。
国家は表現の自由を保障させているのに比べて,今度の事件で見れば, ‘ニコン’という企業やその企業に圧力をかけた‘団体あるいは市民’が‘検閲’の主体として機能しているのではないでしょうか?
現代社会においてはどうやら, 国家や公権力による検閲よりは企業や団体, すなわち社会的に権力を持っている誰かによる‘検閲’がもっと行われているのではないでしょうか? そうだとしたら芸術,創作活動に対する‘検閲’はいつも行われていると見られます。(実際にこの事件が起こって,写真家たちの間では本当に,安さんの写真展がニコンによって中止になったら, これからニコンサロン(権力者)で展示をしようとするアーティスト (非権力者)らが自分の表現が歪曲されたり、抑圧されることになることを憂慮する声が多かったです。)
“それが事実だ。”(つまり, 社会的権力を持った企業や機関による検閲が存在する。) と言ったら, アーティストとそういう表現者や表現活動を企画, 運営をする側に要されることは何でしょうか?私が思ったことはどんなにその活動, あるいは作品の価値を普遍的に,一般的なことにさせるかについての洗練されたデザイン(設計ですかね?)が必要なのではないかと思いました。
今度の例をみると,‘韓国人‘写真家が政治的色が多いテーマ扱って(そのように思われたから),‘日本’で展示をする際には反発があることがもしかしたら当たり前なのです。(写真家の本来の意図でこのような反発が起きるのを願ったし,それによる波及を狙ったことだったら,今度の展示やその結果はとても成功的だと判断されますが, もしかそうではないと言っても,このような一連の過程で‘写真’が持っている影響を改めて感じることができます。)
そうだとしたら,この写真展が追い求めること,価値が何なのかを見せることに対するデザインが充分に設計されたらどうだったでしょうか?写真家である安さんはあるインタビューでこう述べました。
“慰安婦の問題は日本と韓国だけの問題ではない。性の問題は世界の戦場で今もある。歴史的な反省と評価がなければ過ちは繰り返される。」私はこの言葉にまったく同感します。そうだからこのような彼の意図あるいは価値観がみんなと共有できなかったのが残念で,このような面から彼の活動や価値をどのような形で 見せるのかが共に設計されなければならないのだと感じました。
必ずしもそれが,アーティストがすべきことではないが,少なくとも企画,運営をする立場では必要ではないでしょうか? 連れて,表現活動,芸術活動をするにおいて政治的見解を異にする,あるいは価値を異にする集団の圧力に現場ではどんな対応が必要でしょうか?? これはただの質問ですが…(現場経験が多い方のアドバイスを…)
文章をまとめようと思います。
事実, 私はこの写真展に直接に行って見てないため,その内容がどうだったかについては言えないですが,この写真展をめぐって起きた裁判と日本国内の反応,またそれによる韓国内の反応,また国内外のアーティストたちの反応などを記事とSNSで見ながら,‘写真展’というのが及ぼす影響(個人と社会に及ぶ影響)とそれによる結果がどうか新しく分かりました。
個人的には,これから現場で活動をして,その活動の価値をきちんと考え、みんなに知らせるためには非常にたくさんの勉強をししなければいけないと言う決心をするようになりました。
それでは, 今日は以上で、また書きたいことはありますが、次回に書けたらと思います。
コメントよろしくお願いします。

 
芸大 jin
参考記事 

人形浄瑠璃文楽への誘い


こんにちは、芸・fmiと申します。コメントではお邪魔していましたが、記事投稿ははじめてです。よろしくお願い致します。


さて先日、私は文楽公演に行って来ました。大阪にある国立文楽劇場での「夏休み文楽特別公演」内、第3部サマーレイトショーの『曽根崎心中』です。
公演2日目ということで、客席は満員。席も2列目とあって、至近距離で堪能してきました。お初可愛かったなぁ。

『曽根崎心中』は大変有名な演目なので、ご存知の方も多いと思います。江戸時代、大阪で実際に起きた心中事件が元になっているのですが、それが脚色され文楽として上演されたのが、なんと事件のたった1か月後!しかも主人公の「お初」「徳兵衛」は実名そのままです。今じゃ考えられませんよね()。当時の舞台はワイドショー的な要素が強かったんですね。

今、文楽といえば大阪市の補助金カット問題が話題になっていますよね。が、私はこの騒がれ方には少々疑問を感じております。
というのも、「市長vs文楽そのもの」の対立にすり替えて煽るような報道や論調が多く、それにより本当に議論されるべき問題(文楽協会のシステムや意義、天下り問題、補助金の使い道の正当性など)が隠れてしまっているように見えるからです。
また芸術ファン界隈でも、現状の検証無しに「文楽(芸術)=善」「補助金カット=悪」という単純な善悪二元論に終始した論調が多く、正直少し複雑な思いです。

私は文楽が好きですが、現行のシステムや運営法に問題が無いとは思いません。また補助金が市民の税金から賄われている以上、それの使い道に対する「議論」や「検証」はあって然るべきだと思います。
ただ、今の状態ではその議論、話し合い自体が成立していないように感じるんですよね…。
(ちなみに、文楽協会の意義を巡る議論は、文楽劇場開場のころからあったようです。しかしその後30年間放置され、今に至ります。)

とはいえ、これだけ注目が集まっている今は、文楽にとってある意味チャンス。これを機に少しでも興味を持つ人が増えればいいな…と思います。
皆さまも、この夏是非公演に足を運んでみて下さい。学生は学割が効き、約半額で観ることが出来ますよ!

大阪では国立文楽劇場で8月7日まで、東京では国立劇場で9月5日〜24日まで公演があります。




(芸・fmi)

2012年7月24日火曜日

広報について

みなさま、楽しい夏休みを始めていますか。
芸大のHyo(ヒョウ)です。

私は先週まで韓国に行ってきました。74日から20日まではソウル・マージナル・シアター・フェスティバルが開催されました。私がコーディネーターを務めているフェスティバル/トーキョーに比べると50分の15分の1ではありません)の予算で開催されるフェスティバルで、全体的な規模はもちろん小さいです。厳しい予算の中でも今年は15演目がプログラムされ、私が観劇した演目はどれも観客がいっぱいでした。

フェスティバルで作品を制作する予算はなかなか削減が出来ないので、少ない予算は人件費と広報に直結します。そこで日本の舞台芸術における広報について改めて考えるようになりました。

私を含め海外からの人が日本の劇場に行って驚くことの一つは、ものすごい量のチラシが置いてあることです。また、どの劇場やフェスティバルに行っても、パンフレットやチラシ等広報用の資料がとても充実しています。最初は紙がもったいないとか、お金かけてるね、くらいを思ったのですが、自分がフェスティバルに関わってからは、あまり大したこともないチラシ一枚を作るのにも大変な作業が必要だということが分かりました。フェスティバル/トーキョーでもパンフレット一つ作るために、20人ほどのスタッフが長い間取り組まなくてはならないのです。

海外のアヴィニョンフェスティバルやクンステンフェスティバルのようにもっと規模の大きいフェスティバルにもパンフレットはありますが、ほとんど文字中心にしてシンプルな編集になっているので、手間はそれほどかけなくてもよさそうです。また、公演直前まで決まらないことも色々あるので、パンフレットに乗ってない情報や間違ってる情報もあります。もちろん、その部分はネットの情報やフェスティバルセンターのようなオフラインの空間で補われます。

形を重視する日本の文化の中でも、劇場での広報は特に時代遅れではないかという気もしますが、すでにこのような広報に慣れてそこから情報を得ている観客も多いので、もっと効率的な方法がないかなぁというのが、最近私の悩みどころです。

(芸・Hyo

2012年7月21日土曜日

自己紹介と告知

こんにちは。
東京芸術大学M2の山崎と申します。
ようやく夏本番と思いきや、昨日・今日はびっくりするほどの涼しさですね。

さて、初めての投稿なので、まず自己紹介からさせて頂きたいと思います。
私は学部から東京芸大にいまして、身体表現・舞台芸術について学んでいます。
大学入学後からダンスを始めて、あれこれ模索しつつ作品をつくったり公演を行ったりしてきました。
昨年10月にひとつ区切りとなる公演があり、その後小休止期間を経て、
最近はセッションイベント等に参加して踊ることが多くなっています。 
ダンスといっても、バレエやモダンダンスを本格的に学んだ経験はなく、舞踏とマイムを基にしています。
ジャンル的には、コンテンポラリー・ダンスということになるのでしょうか…

ということで、今回はいま関わっている企画をいくつかご紹介したいと思います。
(宣伝です!)

ひとつめは、今年5月から始まった「空宇宙室」。
サウンドアーティスト・美術家の中川敏光さん、グラフィックデザインユニットの
TRAPEZE COMMUNE(トラピーズ・コミューン)、舞踏家の嶋田勇介さんが中心となって発足した企画で、
毎月1回、音楽と舞踊による実験的公演イベントを行っています。
私はvol.1、vol.2と参加させて頂き、来月11日のvol.4にも出演予定です。
会場となる「Chapter2」は、横浜の長者町にあるアート拠点「CHAP(長者町アートプラネット)」の二階。
元ダンスホールの趣きある空間で、音楽やダンスのイベントの他、
ワークショップや展示などにも使えるレンタルスペースとして運営されています。
空宇宙室はまだ始まったばかりですが、こうしたイベントをきっかけに
異分野のアーティストやクリエイターが出会ったり、
様々な人間の交流が生まれる場となってほしいという期待をもっています。

ふたつめは、 街をぶらりと歩きながら出会うパフォーミングアート&ミュージックLAND FES」。
来月、8月の2〜5日です。
吉祥寺の街に設定された4つの会場で、音楽とダンス、パフォーマンスのセッションが行われます。
出演者と組み合わせは各回ごとに異なりますので、お見逃しなく。
こちらは初めて参加させていただくので、どんな様子なのか、どんなことになるのか分からない部分もあり、
なかなか未知数でどきどきです。

最後に、「三宅島在住アトレウス家」。
実はこちらが最も説明の難しいものであります。
「アトレウス家」のプロジェクトは東京文化発信プロジェクト・東京アートポイント計画のプログラムであり、
「墨田区在住アトレウス家」「豊島区在住アトレウス家」を経て、
今回はついに(?)東京の離島・三宅島へ行きます。

…長くなりましたので、続きは改めて書くことにしたいと思います。

(芸・ヤマザキ)









2012年7月19日木曜日

地域の文化


お茶大の舞踊専攻、みそと申します。
 私は、学部の時代から関わってきて修士論文の研究対象でもあります、民族芸能を紹介したいと思います。
 実は本番が、つい先日の7月14日に行われました。東京都大田区の厳正寺で行われる「水止舞」という三匹獅子舞で、東京都の無形民族文化財に指定されています。雨を止ませるための舞という言い伝えがあります。日本では雨乞いの祭りなどは多いですが、逆に雨を止めるというのはとても珍しい行事です。
 
本当は事前に告知し、このブログを読んでいる方々にも観に来ていただきたいと思ってはいたのですが準備に忙しく・・・というのも、今年は私自身が獅子舞を舞わせていただく機会を頂いたからなのです。私は静岡出身で、大田区には縁もゆかりも全くないといっていいのに、舞う機会を与えて頂きました。本当に運が良かったし、恵まれていたと思います。大森の方々に感謝です。私は来年から就職しますが、続けて獅子として出演していきたいと思っています。

 と、このようなかたちで関わっている水止舞ですが、私が特に面白いと感じるのは、水止舞が「地域の文化」だというところです。先生の講義のなかでも、文化によって地元のアイデンティティを感じようというような、文化の1%システムが取り上げられていました。一方で、この大森では、700年以上(おそらく笑)も「水止舞」という文化が受け継がれ、そこからアイデンティティを得ている人々が集まっています。舞手や笛士の中には、サラリーマンで地方に転勤になった人も何人かいますが、水止舞の練習と本番は必ず大森に帰ってきます。地元に文化があって、それが人々を魅了し帰る場所を提供するなんて、とても素敵なことだと思います。私の地元にはそのような行事はないので、特にうらやましいと思いますし、だからこそ研究対象にしたのかもしれません。

 文化は人を引きつけます。決してフリルなんかではない、人々の生活になくてはならないものだと、水止舞に関わっているとそう思います。
 みなさんの地元には、そういう文化はありますか。このブログの感想でも、なにかお話を聞かせて頂けたらと思います。
 写真は2010年の様子です↓


 

(茶・みそ)

「邦楽モデル事業」


皆さん

はじめまして、東京芸術大学M1のizdyです。

初投稿なので、まず簡単な自己紹介をさせてください

出身地は中国(C.N)の山東省で、中、高、大学校ずっと中央音楽学院(北京)でお箏の勉強をしていた。正直に言うと、今まで歩んできた人生のなか、音楽(演奏)以外のことを真面目に考えたことほとんどないです。自分が納得できる音楽を創るため、ひたすら腕を磨く、聞く相手やそもそも自分がどうしてその人たちに選らばられたのかでさえ無関心のままでした。

それは日本に来て、初めてアウトリーチ(学校との連携)という活動の存在を知る時に不思議を感じた理由かもしれないです。皆さんにとってたぶん耳になれたことかもしれないですが、演奏家がわざわざ学校にいって、将来必ず音楽の道を選ぶとはいえない学生たちとワークショップ(しかも、技術ではなく、コミュニケーション重視なの?!)をやるなんて、最初、この私にとって「本業外」のことにしか思えないです。

今もアウトリーチの意味をまだ理解しきれないですが、その中に、財団法人地域創造と島根県・(財)島根県文化振興財団の共催によって、2009年度に実施された「邦楽モデル事業」という興味深い事例があります。

(財)地域創造では公共ホールを媒体とし、地域においてクラシック音楽を身近なものとするために行う「公共ホール音楽活性化事業(音活)」で、アーティストと学校のコミュニケーションをよりよく結ぶことができると知っていますが、やはり、クラシックがメインで、邦楽があんまり公共ホールの事業として取り上げられていないと感じていました。それはなぜかというと、日本の伝統音楽としての歴史や色々なルールがあって(しかも、中国のお箏の世界と違って、流派間の壁が厚いと聞きましたが)、なかなか手が出せないところがあります。

また、「邦楽の世界では一般のお客を対象にした演奏会をやるということにはほとんどなく、家元制度で弟子さんをたくさん抱えていた方がステータスは高いわけです」(片岡リサより・箏曲演奏家)、それは邦楽が公共ホールに対する依存性が低く、お客さんに対する意識も希薄である原因の一つでしょう。(中国のお箏の世界でもほぼ同じような状況ですから、思わず「そうだよ~」と頷いた。)

でも、「ずっと自分の世界に籠っては事業が進められない」、「和楽器のすばらしさを地域の子供達に伝えたい」と考える演奏家、コーディネータ、島根県芸術文化センターの職員と一緒に、23日の合宿型手法開発研修を組み立てたうえ、5ヶ月の期間で、小学校4年から中学3年まで9校全12クラスで邦楽アウトリーチを行いました。

子供が和楽器に対する興味を引き出し、邦楽鑑賞を習慣として身につけ、そして、いつか親連れ(笑)して、ホールに足を運ぶお客さんになったら(つまり観客・聴衆育成)、邦楽事業や公共ホールにとって重要な目標の達成だと私が思います。

このような短期間のワークショップや研修では、日本の伝統文化やその礼儀作法を教えるのは相当難しいことですが、お箏の音色を楽しんでもらい、和楽器を`体験`することができれば、目標へは大きな一歩を踏み出したのではないかと思います。

「邦楽モデル事業」が今後に向けて、研修経費の捻出や学校側への事業説明などさまざまな課題があります。特に「リクエストやニーズに対応できる柔軟性のある演奏家は非常に少ない現状」で、古典的なアーティストたちも、自分が持つ社会的役割をこれからどう果たすのかを見直すべきではないですか。

私自身がアートマネジメントという領域についてまだまだ知らないことがいっぱいいっぱいですが、こういう自分の過去(お箏)と現在(アートマネジメント)を繋げる事例を見つけて、すごくワクワクしてきました。

今年、9月下旬~11月中旬に(財)地域創造・邦楽活性化事業として、千葉市で行う邦楽アウトリーチに参加させていただきました。

得た経験や面白いエピソードやまた報告いたします!

では!

よろしくお願いします!



(芸・izdy

2012年7月18日水曜日

すみだストリートジャズフェスティバル


初めまして。
投稿よりもコメントからいきなりお邪魔しました、青・Ne3です。

皆様の投稿を読んでいて、「へ〜そうなんだ」と言う事や共感できることが多く、楽しみに拝見しております。

私は現在いくつかの文化関係(芸術というよりポップカルチャーより)の活動にオン・オフ関係なく携わっております。
俗にいう「お祭り女」というところでしょうか。w
例えば、東京コレクション(商業的な色満載のガールズのほうではありません。)やすみだストリートジャズフェスティバルが今まさに携わっている大きな企画です。
このほかにも個人的立ち上がった演劇集団に属してみたり、パブでコンテンポラリーダンサーとセッションライブをしてみたりと、ライブペイントとライブ演奏を一緒にやるバンドを組んでみたりと怪しいことばかりやっておりますw
怪しい活動は後々紹介するとして

さて、今回はすみだストリートジャズフェスティバルをご紹介。

これは、今年で3年目を迎える、錦糸町駅界隈〜スカイツリーの地域の町中の約30ヶ所をステージにし、8月の土日2日間ジャズ漬けになるフェスティバルです。
また、ジャズ=ジャム=町に調和すれば何でも来いと解釈し、スポーツイベントやアートイベント等、幅広く取り入れている現在非常に求心力のあるイベントです。
1年目には2万人来場、2年目は雨にも関わらず4万人来場、そして今年は10万人!(きてほしい)
墨田区は元々多方面において文化が栄えていますが、どうしても浅草辺りが盛り上がってしまいます。
錦糸町だってかつては銀座に負けない繁華街。
人口密度が高い(確か東京都で3位くらい?)東のこの町を文化の町にしよう、そして文化で盛り上げようと住民や町好きが立ち上がった訳です。

主催は「すみだストリートジャズフェスティバル実行委員会」これは自治体でも企業でもなく、地元住民やすみだ好きなど個人集団の集まりです。
「はい、やりたいです」が集まってるわけで、NPO法人でもありません。

私はここで「Tシャツプロジェクト委員長」を担っております。
もちろん、個人ボランティアです。
え?ジャズフェスのTシャツプロジェクトってなんのこっちゃ??
と思われるかと思いますが、これは非常に重要なポジションです。
すみジャズに関して書きたいことはいっぱいありますが、今回はここの部分にフォーカスしてみます。

どんなイベントを行う上でも「運営資金」はかかってきます。
どんなに機材をただで協賛してもらっても、多くのお力をお借りしても、
すみジャズを行うには例年1200万円近くかかっています。

まず、「地域発信型」=「常に資金不足」なのは想像できるかと思います。
では、協賛金を取れば?とお思いでしょうが、それだけではまかなえません。
じゃあ助成金は?もちろんたくさんに申請して、1円でももらえるように実行委員長含め努力していますが、経産省もcool Japanが仕分けされたりで、大きな額はそれほど望めないのが実情。
とすると収入が望めるのは物販しかないのです。
もちろん、屋台は出ますが、例えば300円の焼きそば、1000食売っても30万円です。
頭がいたくなっちゃいますね。

そこで、単価が高くなるような物販を売りたいと思いますが、ロレックス売ったって誰も買いませんよね。
じゃあ、「フェスでそこそこ単価を上げられる商品ってなんだろう」

そこでTシャツの登場です。

え?なんでそこでTシャツなんだ?と思う人もいるかと思いますが、
「日本の音楽フェス文化」を考えると、フェスとTシャツが良い関係であることが分かります。(フェス知らない方は画像検索で「フェスT」と検索してみてくださいね)

大きなフェスでは必ずと言っていい程オリジナルTシャツを売っています。
だいたい25003500円てとこですよね。
Tシャツ自体の原価は企業にもよりますが安くて700800円。
あとは計算してみてくださいね。

お客さんとしてフェスでTシャツを買うメリットは

・一体感を味わえる
・お土産になる/記念になる
・家で使える(着替え用にも利用できる)
・老若男女販売対象を選ばない
・そんなに高く感じない(焼きそばに2000円は出せないが、Tシャツだと思うと妥当)
・コレクション精神をかき立てる

などなど。
また、錦糸町はものづくりの町で、繊維関係も優れているので、そういった地元と連携することで、町としても地元企業が絡んでいるということにすごく誇りを感じてくれるんです。また、町おこしは本来はその町が活気づくことが目的なので、ただ売るのではなく、どうすれば町のためになるのか、金銭面も精神面も、そして文化面からもも考え、物販を販売していくことになります。そのためにはまず今の町を知らなくてはならないわけです。
たかだか物販、されど物販なのです。
私も含めですが、どうしても全体の企画・運営といた魅力的な部分にとらわれがちですが、こういった草の根の役割を知ることも、意味のある企画を作る上で重要なんですよね。

特に「一体感を味わえる」というのは、こういったフェスに限らず多くの文化活動の観客側が本来味わいたい潜在的欲求で、こういったことを少しでも満たす、くすぐることが、次回の観客を育てることにつながるんですよね。また、このファン作りをしていくことで、このイベントを支え育てていこうという文化が作られていくと思います。継続してやっていけるいい企画になるかどうか、すみジャズはちょうど育っている途中なのです。

ということで、今回はここまで。お時間ある方は是非!


イベント名
3回すみだストリートジャズフェスティバル

日程
2012818()


19()



会場
錦糸町駅および東京スカイツリー周辺の墨田区内 屋内外約30ステージを予定(全会場入場無料




(青・Ne3

2012年7月13日金曜日

おもしろ観劇キャンペーン


あたりさわりのない話から…
7月も半ばとなり、暑い日も多くなってきましたね。
しかし、私はまだ「夏だ」という実感がわいていません。

原因は、蝉。
みなさん、今年になって蝉の鳴き声を既に聞かれたかたはいらっしゃいますか?
私が中学生の頃は5月くらいから蝉の鳴き声がして、授業の先生の声よりもそちらに耳を傾け、夏休みのことを楽しみにしていたものですが、
今年は未だにその声を聞きません。
ちなみに私は成田というところで小学校・中学校に通いました。
成田は東京から離れたまあまあ自然の残るところなので、5月からというのはかなり早いと思うのですが、それにしても今年は遅いと思うのです。
何かの影響でしょうか?

早く 蝉の声を聞いて夏を実感したいものです。
以上、番外ゼミとセミをかけたお話でした。
 
 
……ということを先週下書きしていました。我ながら、オチが微妙ですね。
しかし、昨日やっと蝉が鳴いているのを耳撃!!
夏が来た!と感じております、芸・かさはらです。はじめまして。
紹介が遅れてすみません。現在学部4年です。
今は就職活動(シュウカツ)を終え、卒業論文に邁進しようとしているところであります。
大学ではアートマネジメントを専攻し、
学部3年まではこあずさんと同じく、「谷中のおかって」が主催する「谷中妄想ツァー!!」、「谷中妄想カフェ」という企画の制作運営に関わっていました。

このプロジェクトの舞台である谷中地域についてちょっと紹介すると、
谷中は、東京芸大上野キャンパスの隣に位置しています。
谷中霊園という墓地を中心に栄えたところなので、お寺などの昔ながらの町並みが残る場所ですが
新しいギャラリーやカフェなども多く、観光地としても注目されている地域です。
今話題のパンダ家族がいる上野公園が芸大の庭なら、谷中は芸大の裏庭…そんなように思っています。
妙なノスタルジックを醸し出す変な場所なので、ぜひみなさまおこしください。


谷中のことについてお話しすると長くなると思うのでまたの機会にでも。
今回は授業とも関係するような、このごろ私が面白いと思ったある劇場の観劇キャンペー ンについてご紹介します。
 
 
 
先月「ままごと」という劇団の「朝がある」という芝居を観ました。
この劇団の創る芝居は、私が大学に入って出会ったものの中で衝撃を受けたもののひとつですが、
今回は内容・感想については割愛させていただきます。
ここでお話したいのは折り込みチラシのことです。
演劇に限らずだと思いますが、そのジャンルのチラシがパンフレットと一緒にたくさん折り込まれますよね。
この時はビニール袋にまとめられてドーンと渡されました。

演劇のチラシのデザインって私はとても好きで、どれも観たい!と思わせるものばかりなんですが、結局行かないことが多いのです。
なぜ行かないのか。 私の場合、お金が無い、時間がないというありきたりな理由からでした。
あと、ほとんど演劇のことを知らないので、どんな作品がおすすめなのかわからないからです。

そんななか、目に留まったチラシが。

「10万円キャッシュバックキャンペーン」
え…10万円もらえるの!?

どうやら北区にある王子小劇場でおこなわれる「佐藤佐吉演劇祭」というものの一環のようです。
演劇祭期間中に披露される10演目を全てみたひとたちで10万円を山分けできるシステムだそう。
その10演目というのも、王子小劇場の支配人が今イチオシとする作品ばかりとのこと。
お金も戻ってくるし、今旬の作品が次々観られるっていうのは私にとってはすごく魅力的でした。

早速1演目目「劇団競泳水着」さんの芝居を観劇しに行きました。
まったく予備知識もないまま行ってみましたがとてもおもしろく、
その後も「まごころ18番勝負」さん、「悪い芝居」さんの芝居と、
調子に乗ってここまで3演目まで行けてます。

大体1週間に1演目のペースなのですが、
そんな頻度で観劇するのは初めての私にとってはこんな芝居もあるんだという発見になっており、
また、自分がどんな劇が好きなのか、趣向を把握する機会になっているなあと思っています。
あと、同じ舞台だからこそ、スタッフの配置やアナウンス、舞台の使い方、客席の使い方などを比べるのもおもしろいです。

 
きっと劇場・劇団にとっても、このキャンペーンは利点が大きいのではないでしょうか。
ただ欠点としては、キャンペーン自体はお客さんから「口コミ」で広がっていくことはないということでしょうか。
分母が少ないほどひとりあたりのキャッシュバック代は高くなるのですから。
(それとも、こんな腹黒いことを考えるのは私だけ…?) 
 

私は、このような劇場主催のお客さんを呼ぶための独自のシステムってどんどん広がっていったらいいなと思います。
芸術運営論の授業で先生がドイツの劇場を紹介されたなかで
シート(チケット)をとることでのお客さんとしての支援があることを紹介いただいたことがあると思います。

チケット代だけで賄えるのなら、もちろんそれが一番いいのです。
でもそれではどうしても収支が合わないから、その他の面での支援が現在日本で行われているのだと思います。
しかし今一度、お客さんを囲い込む仕掛けを見直すと、そこにもいろいろな方法があるのではないでしょうか。
その一例が、今回のキャッシュバックキャンペーンだったのではないかと思っています。

さて、ここまで書きましたが、
もしこのようなおもしろい観劇システムを他にも知っている方は、ぜひコメントお願いします!

(芸・かさはら)

【参考URL】
・佐藤佐吉演劇祭2012 公式HP
http://www.en-geki.com/sakichisai2012

・ぐるぐるヤ→ミ→プロジェクト公式HP
http://okatte.info/guruyami/