2013年1月11日金曜日

非文化的であること

 初めての投稿になります、早稲田大学大学院法学研究科修士1年のkahawaです。他研究科聴講で履修しています。小林先生の文化政策に関連する授業は昨年度も履修しており(政治学英語文献研究)、それ以来考えてきていることを分割して書きます。

 さて、勝手な推測ですが、この授業を履修している方は、「文化は権利である」という命題に肯定的(そうあるべきだと思う)で、かつ正しい(現実に妥当する)と考える方が多いのではないでしょうか。僕はそうです。
 では、「文化は義務である」という命題はどうでしょうか。これまた推測ですが、否定的(そうあるべきだとは思わない)で、かつ少なくとも現在においては正しくない(現実に妥当しない)と考える方が多いのではないでしょうか。僕は、これについては、否定的ですが、ある程度正しいと思います。少し詳しく書くと、「文化的であることは、非文化的であることよりも優れている」という価値判断のもとに文化的たることを強要する、「文化の義務化」という状況が現実に生じつつあると考えます。今回は、「非文化的」であることについて取り上げます。推測だらけで極めて抽象的な内容ですが、ご容赦ください。

 僕が疑問に感じるのは、「非文化的」という語が持ち得る否定的、侮蔑的なニュアンスです。過日の授業では、文化国家や文化行政などの語における「文化」は、当初は「洗練されたもの(野蛮や、洗練されていないものとの対比)」という意味合いだったということが提示されました。その意味に解するならば、「非文化的」という語にマイナスのニュアンスが伴うのは、定義上致し方ないことだと思います(だからこそ改善の推進力が生まれる訳ですし)。また、対象が特定個人ではなく社会や制度なので、ここではこれ以上は掘り下げません。
 では、「文化は権利である」というときの「文化」の意味における「非文化的」という語の場合は、どうでしょうか。今回は、いわゆる芸術文化に多いと思われる、参加に能動性が必要なもの(以下、便宜的に「芸術文化」と表記)に限定して考えてみます。
 まず、社会環境などにより、芸術文化に参加できない「非文化的」な人に対しては、「非文化的」足り得る原因は社会環境であり、そのような状況はよろしくないので、環境を整えよう(アクセス確保)ということになるのでしょう(開発援助には、このような側面があると思います)。ここでは、「非文化的」なこと自体の良し悪しについてどのように把握されているかは、明らかではありません。
 一方、環境は整っているのに芸術文化に参加しようとしない「非文化的」な人に対しては、文化的素養がない、あるいは心が貧しいといった形で、マイナスのニュアンスを有することになっていないでしょうか。「非文化的」であることは、「文化的」であることに劣る、と。先に21527さんが「私の芸術履歴について書いても、教養のなさが露呈してお恥ずかしい限りとなるのは間違いありません」と謙遜された書き方をされているのも(2012年12月21日)、上述のようなニュアンスが存在することを前提にされているのだと思います(違っていたらごめんなさい)。
 このようなニュアンスが生まれるのは、Xenakis48さんが紹介しておられるように(2012年11月30日)、「文化」であるというだけでプラスのイメージが生じる、ということの反射効によるところが大きいと思います。踏み込んで言えば、「文化は人の心や生活を豊かにする」という主張は、翻すと、「非文化的」であることは何らかの形で心や生活が貧しいのだ、という意味にもなりかねないと思うのです。
 しかし、文化が権利であるならば、行使するもしないも本人の自由のはずです。そこから出発して、アクセスが確保されている状況においては、権利行使して「文化的」であることと、権利行使せずに「非文化的」であることは等価なはずで、「非文化的」であることを否定的に捉える(「文化的」であれ、という圧力を生じさせる)のは良くない、というのが今回の主張です。
 文化権を認められている市民がその権利をどのように活用するか、という問題意識をnbkmさんが書かれていますが(2012年6月28日)、上記の僕の主張を踏まえ、みなさんはどのようにお考えでしょうか。

 最後に次回(以降)の内容を少し。僕は、文化権を保障するというとき、その根幹は「文化を強要されない権利(離脱権)の確保」と、「文化的なものにアクセスできる環境の確保(アクセス確保)」であるべきだと考えています。この枠組みに照らすと、文化の魅力を発信すること自体はアクセス確保に資するものですが、「非文化的」であることに対するマイナスのニュアンスを生じさせてしまうと、離脱権への制約になります。
 ということで、離脱権とアクセス確保の内容はどんなものか、文化の義務化とは何を言おうとしているのか等について取り上げたいと思います。文化と健康の関係、複言語主義など、なるべく具体的な内容になるように気を付けます。

(早・kahawa)

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