2013年1月24日木曜日

大分トリニータに関する問題

皆様、こんにちは。
小林真理先生の文化政策を受講しております
早稲田大学大学院政治学研究科1年のJohnと申します。

私は昨年11月に総選挙のために地元の大分へ戻り、約1か月選挙活動をしてまいりました。
私が選挙事務所に入ったばかりの11月23日にJ1昇格を決め、再び地元で話題となった
大分トリニータの財政問題について地元で見聞きしたことなどを書き連ねたいと思います。

大分トリニータは大分県にホームを置き、Jリーグに加盟するプロサッカークラブです。
1994年に任意団体「大分フットボールクラブ」、(愛称:大分トリニティ)として設立され、
1999年に運営法人「株式会社大分フットボールクラブ」を設立、J2への参加を果たし、
同年、正式に「大分トリニータ」と改称しました。
クラブ名は、三位一体という意味“Trinity”と本拠地の “Oita”を合わせた造語で、
県民・企業・行政の力を結集してチームを育てていくという意味があります。
当時、自治省から出向し、大分県企画文化部参事であった溝畑宏氏(後の観光庁長官)を
ゼネラルマネージャー(後に代表取締役社長)として迎え、県民・企業・行政の支援の下、
2002年にJ1昇格を果たし、2008年にはナビスコカップ優勝を果たした。

しかしながら、トリニータは、慢性的に財政基盤が弱く、赤字体質が現在まで続いている。
2005年には、「株式会社大分フットボールクラブ」は大分県から
「大分県スポーツ文化振興財団」を通して2億円の融資を受け、
結果的に県民からの税金を投入してクラブを存続させることが可能となった。
2009年には、日本プロサッカーリーグが設立した公式試合安定開催基金に対して、
緊急融資を申請し、Jリーグ理事会にて計6億円の融資を受けるなど、
限りなく経営破綻に近い状態でクラブの運営を行っていた。
2010年にも、再び運営資金が不足する可能性があったため、
再び県から「大分県文化スポーツ振興財団」を通じて2億円の追加融資を受けた。
加えて、2010年から現在まで大分県はトリニータ再建支援のために、
ホームスタジアムである大分銀行ドーム(ビッグアイ)の使用料を全額免除している。
2012年にも、大分県はJ1昇格の前提条件である3億円の借金返済のため、
三度「大分県文化スポーツ振興財団」を通じて5000万円の支援を決め、
県内の市町村も県市町村振興協会の基金を取り崩し、5000万円を捻出することとなった。

このような大分県の対応に対して不満を感じる県民も多い。
県議会総務企画委員会では、「県から「大分県文化スポーツ振興財団」を通じた迂回寄付に
県民は疑問を感じている」など、議員たちから意見が出され、
県議会一般質問でも、「(県内にはサッカー以外にも、バスケットボール、フットサル、
バレーボールのスポーツチームがあり、)どのチームも潤沢な資金で運営されている
わけではない。経営危機に陥れば、財政支援するのか」と質問が出された。
前者の意見に対して、県文化スポーツ振興課長は、「トリニータを支える県民会議」で
市町村から「直接寄付の形を取らないでほしい」旨の意見があったためと説明し、
後者の意見に対しては、県企画振興部長は、県民、経済界、行政の三位一体で
育てるというトリニータ設立の趣旨に触れ、「支援という観点では、トリニータと
(他のスポーツチームを)同列に論ずることは難しい」と答弁し、否定的な考えを示した。

これらの意見・質問は、大分県における「文化政策」の問題点を指摘していると私は思う。
県の外郭団体である「大分県文化スポーツ振興財団」を通した県の支援と
県民に十分に説明・理解されていない状態で、トリニータに特化した県の財政支援は、
非常に不健全で問題があると考えるからだ。
前者は、「大分県文化スポーツ振興財団」を迂回させることで、県議会の議決なしで
トリニータの財政支援を可能にしようとする県の意図が見え隠れし、
後者は、トリニータという特定の団体を支援する理由を明確に説明できておらず、
2012年12月には、かねてより資金繰りに苦労を重ねており、大分に密着した
プロバスケットボールチームである大分ヒートデビルズの運営会社
「株式会社大分ヒート」が県からの財政支援を受けることなく、
財政難を理由にbjリーグを退会してしまったという事態が発生した。

トリニータの財政問題は根本的には解決されておらず、
今後も引き続き県内で議論されていくことになるだろう。
私は、大分県出身者として、大分を地盤とした政治家になろうとする若者として
この問題の行方を見守っていきたい。

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