2013年1月28日月曜日

国内旅行はなぜつまらない?

 私は旅行を趣味としている。少しでも時間とお金があれば、常に居住地から飛び出ることを企んでいるといっても過言ではない。見知らぬ土地へ行って、(冒険ではなく旅行なのだから)身に危険が及ばない範囲で、未知のものに驚かされたり、今まで自分が築き上げてきた価値観を突き崩されたりするのは、刺激であり、快感でもある。旅に出るときは、いつも、何かそんな刺激を私にもたらしてくれるものがあるのではないかと、わくわくしながら、列車や飛行機に乗り込む。
 しかし、日本の街では、この期待が裏切られることが多い。長い時間をかけて、飛行機とバスを乗り継いで、九州だの北海道だののある街へ行っても、東京や千葉や川崎を歩いているのと変わらない緊張感で過ごしていることが多いのである。そもそも、上述のような刺激を求めて旅立つ先に、国内は適さないのかもしれない。だが、一つの国内でも対照的に、私の経験ではイタリアは、街を移動するごとに刺激に満ちている。第二外国語としてこの国の言葉を履修していたこともあり、私は(居住経験はないのであくまで旅先として、であるが)この国が大好きである。日本もイタリアも南北に長い地形で、長い海岸線を持ちながらも山がちな国土であり、方言も豊かである等、共通点も多くみられる。では、この違いはどこから来るのであろうか。
 その答えの一つに、本を読んでいて思いあたった。池澤夏樹の小説『キップをなくして』の文庫版に添えられた、旦敬介による解説は、池澤がこの小説の時代設定を、「国鉄民営化後、青函トンネル開通前」としており、それは1987年夏に限定されると指摘したうえで、この時代設定が意味するものを推察している。その中に、次のような記述がある。「それ(引用者注、80年代後半の青函トンネル開通や本州四国連絡橋開通)はあらゆる意味で移動が(略)ものすごく便利になったということであったと同時に、日本全国が、島ごとの区別がはっきりしないのっぺりとした統一体になったということでもあっただろう。それを考えると、一九八七年の夏休みは、日本を旅行するのに、まだ船に乗らなければならず、別の島に行ってきた、異界に行ってきた、と意識することができた最後の夏休みであったと言える」(池澤夏樹『キップをなくして』角川文庫、2009、p.278)。別の個所で旦も指摘するように、旅行家として知られる池澤は、90年代初頭には、日本国内で唯一道路や線路から遮断された都道府県である沖縄に移住をした。この「のっぺりとした統一体」という表現は、感覚的な言葉ではあるが、確かに日本全国を歩いてみると実感されるものと言わざるを得ない。旭川を歩いていても、新潟を歩いていても、長野でも堺でも松山でも熊本でも、都市における体験は似通っている。駅を降りればデパート型のビルが建ち、少し歩けば全国チェーンのショッピングセンターで買い物ができ(これは別の話であるが、私は買い物をするわけでもないのに旅先では必ず大型のショッピングセンターを訪れる)、宿を探してぶらついていれば制服姿の女子高生が大きな声であまり重要そうでないことを彼女らにとってはさも重要そうに話しながら自転車で並んで追い抜いてゆく。これら全ての体験を、私は決して嫌いではない。しかし、どの街へ行ってもこれしかない。私が初めて沖縄に行ったのは2010年のことであるが、那覇もかなりこのような街に似通っていた。因みに池澤は、那覇から知念に転居した後、2000年代半ばには遂に日本を離れフランスへ移住してしまった(現在は札幌に住んでいるそうである)。
 もちろん、半島の先端からシチリアへ橋が架かっていないから、イタリアの方が素晴らしいというわけではないであろう。だが、都市から都市へ移動したときには、「異界に行ってきた」という実感がある。街並みや建物の外壁の色も異なる。通りの雰囲気も異なる。イタリアも日本と同じように鉄道が整備されているが、それでも「のっぺりとした統一体」にはなっていない。わずか1時間の乗車を終えて列車を降りれば、そこには確かに「異界」にやってきたという緊張感をもたらす何かがある。一つ一つの街が、来訪者に異なる体験を提供してくれる。もちろん、両国の歴史の違いもあろう。しかし、89年生まれの私が知らない日本が、まだ分断された島々で、都市ごとの体験にも違いがあったならば、80年代後半から進んでいった、旦の指摘するような変化は、勿体ないことであると言わざるを得ない。
 具体的に何が国内旅行を刺激のないものにしているのか。それはまだ私にはわからない。しかし、言うなればこの国が旅する人の面白みを無くすという意味で「均質で不可分」(私はフランスには行ったことがないが、「格差社会」が問題になってきた高校生の時分、この言葉に憧れた)になってしまっているのではなかろうか。国境の長いトンネルを抜けても、何の感動も待っていない国は、旅行をするのにはあまり楽しくない。

(早・宇佐美)

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