2012年7月31日火曜日

ダンスであることの意味について悩んでいます

皆さまこんにちは!芸大のありおといいます。(女です)


現在学部3年で、舞台芸術と身体表現のゼミに所属して勉強しています。
小さい頃は、地元のスポーツセンターでやっている子供バレエ教室に通ったりしていたのですが、今現在は大学にてコンテンポラリーダンスを教わっています。入学当初はコンテンポラリーダンスをほとんど知らなかったので度肝を抜かれましたが、今は大好きなのもそうでもないのも、色々見て見解を深めているところです(^^)

いきなりお悩み相談みたいになるんですけれど(苦笑)、今悩んでいるのは、ダンスはどうあるべきか ということです。
私のゼミでは気軽に作品制作ができてやりたければ誰でも自主公演を行えるのですが、私は今まで制作や出演者として参加することはあっても自分の作品をつくりたい、もしくはつくれる、と思ったことはありませんでした。ですが3年生になってやっと、自分でも自分の作品づくりをしたいという意欲がものすごい出てきて、制作を始めようとしているところです。その時になって、改めて「なんでダンス?」とか、「観客に対して何をどうしたいの?」といった問題にぶち当たりました。

芸術が誕生して必要とされている意味や理由みたいなものは多々あると思いますが、美術や音楽を省いてとりあえずアート作品としての『ダンス(+演劇・パフォーミングアーツ)』というものを考えると、ダンスと娯楽性は切り離せないものだと思います。しかしそれと同時に社会性も持っていなければいけません。ダンスも沢山のジャンルやタイプが生まれてある意味「出尽くした」と言えるかもしれない今、ただ単に好きだからといった動機だけでやったってそんなに意味はないし、ダンスが何を問えるのか、提示できるのか、こういうことを考えはじめると何だかもうぐちゃぐちゃーってなってしまいます(笑)経験不足に知識不足ですね…

また、国によっても「ダンス」の持つ意味は異なってくると思います。ダンスで仕事をしている人の立場や在り方も全然違うと思います。日本の場合はどうなんでしょう。ただ世間一般的に見て、いち職業として確固たる地位を与えられているようには見えません。悩んでしまいます…


こんな感じでだらだら書いてしまいましたが、皆さんにとってのダンス観とか伺えたら嬉しいですし、もちろんダンスでなくても何でも、ぜひ色々と教えていただければと思います(^^) よろしくお願いします!


(芸・ありお)

4 件のコメント:

  1. 芸・ありおさん、初めまして*
    茶・yukkyと申します。

    私は体育大学でダンスを専攻し、その後現在の大学院に入学しました。大学院の受験勉強の一環として、ダンスに関する色々な文献を読みました。未熟な知識とつたない文章で大変恐縮なのですが、それらの文献を読み学んだ中で私がダンスという現象について思うことをコメントさせていただけたらと思います。
    私は、ダンスは人間のコミュニケーションの一媒体であり、人間の感情の発露だと思っております。
    ゆえに、“ダンスは~であるべきだ”という定義に当てはめることのできない、人間の為す一現象なのではないかと思うのです。
    もちろん、一芸術としてダンスを考えるのであるならば、身体を媒体としたダンスというコミュニケーションに華を持たせることも必要なのかもしれません(テクニックなど)。そして、観客に何か伝えたいことがあるのであれば、その媒体の中に意味を含有することも必要なのかもしれません(社会性など)。けれども、ダンスは身体を用いた芸術であるという前に、身体を用いた表現手段であり、人間にとってもっとも原始的でシンプルな表現手段だということを考えると(例えば、赤ちゃんが怒って裸足で地面を踏み鳴らしたり、両手を振り回して喜んだりするのもダンスの起源ではないかと思います。)ダンスはやはり枠に当てはめることができない芸術なのだと思います。
    文章がまとまっていないのですが、私なりのダンス観を書かせていただきました。
    “舞踊学講義”という学術書に様々な分野の舞踊研究者の方々の舞踊に対する見解が書かれているので、もし良かったらぜひ読んでみてください(^^)

    (茶・yukky)

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  2. 芸・ありおさん、初めまして
    ocha.YING と申します。
    私はダンスの専攻ではありませんので、素人からの観点で恐縮ですが、自分のダンスについての考え方をコメントさせていただきたいと思います。
    私は以前中国のミャオ族踊りを見てとても感動したことがありました。それは豊作を祝う祭りの踊りで、その喜びを強烈に伝わり、とても情熱的で、心を響く踊りでした。その時に私は「ダンスは一つの言語」だと思いました。まさに茶・yukkyさんが指摘したように「ダンスは人間のコミュニケーションの一媒体であり、人間の感情の発露」ですね。
    私は留学生で、言葉で通じない場合、よく身振り手振りで説明したことがあります。踊りは体で話す言語で、言葉が通じなくても、ダンスで感情を表すことができると思います。これはとても素晴らしく、芸術的、魅力的なコミュニケ―ションの手段だと思います。

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  3. はじめまして。お茶大のSSと申します。

    ダンスであることの意味について、非常に難しい疑問ですね…。
    ダンスというのは本来人間の本能から生まれるものなのだそうです。もちろん言語よりも先にあったものですから、yukkyさんがおっしゃる通りコミュニケーションの一媒体とも言えるかもしれません。
    私は、ダンスであることの意味、というのは、あとから付ける、もしくは勝手に付くものだと考えています。
    言い換えるならば、ダンスであることの意味は無限大にある、と思います。

    例えば、あるダンスについて、これは芸術だ!と言う人もいれば、これは芸術ではなく身体表現だ!と言う人もいる。さらに言えば、これはダンスではない!という人もいるかもしれません。

    恐らくこの問題の正解というのはどこにもない。

    私は、それが「ダンス」だと思っています。

    ただ単に好きだからといった動機だけでやったってそんなに意味はないし、と書かれていらっしゃますが、そのお気持ちはとってもよく分かります!
    でも、好きだから…という動機は非常に重要な要素だと思います。なぜならダンスは本能ですから。
    ダンスの創作は、観客にこう感じて欲しい、という考えの基に創作しなくてはならないということはありません。
    ありおさんが、ダンスが好きだという動機の基に創作した作品を観た観客が何かを感じたら、もうそこにダンスであることの意味は存在しています。

    なんだかまわりくどく話してしまいましたが、ダンスというのは、創作者の意図をそのまんま観客が感じ取れたら成功、というものではないと思います。
    あまり難しく考えずに、一度思うままに創作してみてはいかがでしょうか?
    ありおさんのダンス観がガラッと変わるかもしれませんよ。
    長文失礼いたしました。

    (茶・SS)

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  4. こんにちは、芸・Marimoです。

    僕はいま芸術としての「ダンス」ではなく、違う文脈から「ダンス」を捉え直したいと考えています。もちろんそこには日常の身振りなども含まれますが、特に絵画に扱われる身体や彫刻に扱われる身体などが存在すると思われます。一度、ダンスという概念から身体という概念に回帰してみるともっと楽しくなるかもしれません!

    (芸・Marimo)

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